【イイナパーク川口(川口ハイウェイオアシス)】
○ イイナパーク川口(赤山歴史自然公園)
○ 伊奈半十郎忠治公像
○ 歴史自然資料館
○ 川口ハイウェイオアシス
【赤山陣屋敷跡/源長寺】 別頁
○ 赤山陣屋敷址
○ 赤山日枝神社(赤山陣屋敷守護社)
○ 源長寺(伊奈忠治の再興)
○ 伊奈忠治の墓(源長寺)
<正門>
イイナパーク川口の正門にある一般道からの駐車場にある案内板です。
(説明板)
「公園名の由来
「イイナパーク川口 IINA PARK KAWAGUCHI」という名前の由来は、本公園の近くに、寛永6年(1629)に関東郡代伊奈半十郎忠治が築造し、以降163年間にわたり在地支配の拠点として機能してきた赤山城跡(赤山陣屋敷址)があるなど、地域特有の歴史的事実に基づく「赤山の伊奈氏」(イナ)が連想できること。さらに、公園に訪れた方々が川口の歴史を知る機会となるとともに、「良いもの、良いこと」などが連想できるフレーズ(イイナ)はポジティブな印象を与え、子どもから大人まで親しみやすく、覚えやすいことなどから命名しました。」
パーク内を進みます。三差路に方向標識の掲示。直進すると地域物産館があります。
右に進むと、橋に出ます。左手が「とんぼ池」、右手が「水鳥の池です。」
橋の手前に「水辺で見られるいきもの」の掲示があります。
橋を渡ると、その先に「フワフワドーム」があります。
子ども向け大型遊具で、3歳児〜小学生限定です。子どもたちに人気の遊具です。
さらに進むと右手は巨大な芝生広場です。
さらに進むと左手に公園管理事務所があり、伊奈半次郎忠治像が建っています。
管理事務所の脇は駐車場のない自転車置き場のある北門です。
<パンフレット>
イイナパーク川口の北門・公園管理事務所前に「伊奈半十郎忠治公像」が建っています。
(プレート文)
「伊奈半十郎忠治公
文禄元年(1592年)〜承応2年(1653年)
江戸時代前期の幕府の代官。
寛永6年(1629年)、武蔵国北足立郡赤山に陣屋を築き、ここを拠点として、見沼溜井の造成や利根川と荒川の河川改修事業を実施し、水害を防止するとともに、新田の開発に力を注ぎました。
江戸時代を代表する治水・利水事業により、武蔵国東部低地帯の開発が可能となり、広大な荒野は、実り豊かな穀倉地帯へと姿を変え、現代に続く関東発展の礎となりました。」
(パンフレットより引用)
「本市の新たな水と緑のオアシス空間、イイナパーク川口」内に、赤山・安行周辺、郷土川口の歴史、文化、自然を紹介・体感し、現地へと誘う施設が会館しました。
なお、「レンガの家」「土の家」「木の家」の三棟の建物をホワイエで結んだ当館の設計は、日本を代表する建築家:伊東豊雄氏の設計です。
皆さまのご来館を心よりお待ちしていおります。」
<入口>
<屋外のオブジェ>
「天と地の形T 1993年作 富田眞平 Shinpei Tomita」
<展示>
入口に撮影可の掲示があったものの、メインの土の家(展示室)の伊奈忠治展示には撮影禁止の掲示がありました。
レンガの家(映像ギャラリー)も撮影禁止の掲示がありました。
撮影禁止の掲示がなかったのは、木の家(管理室・トイレ)と通路、通路の壁だけです。
撮影可能な通路と通路の壁に掲示の展示です。
「郷土の偉人 伊奈忠治 」「伊奈氏ものがたり」「赤山陣屋ものがたり」
伊奈氏系図を抜粋
(参考)
1 伊奈忠次(1590年〜1610年)
2 伊奈忠政(1610年〜1618年)
3 伊奈忠治(1618年〜1653年)
4 伊奈忠克(1653年〜1665年)
5 伊奈忠常(1666年〜1680年)
6 伊奈忠篤(1680年〜1697年)
7 伊奈忠順(1697年〜1712年)
8 伊奈忠逵(1712年〜1750年)
9 伊奈忠辰(1750年〜1754年)
10 伊奈忠宥(1754年〜1769年)
11 伊奈忠敬(1769年〜1778年)
12 伊奈忠尊(1778年〜1792年)
「赤山陣屋ジオラマ」「赤山陣屋敷絵図面」
「赤山絵図」
<パンフレット>
令和5(2022)年4月25日、川口PAは「イイナパーク川口」と連結し、
水辺と緑に囲まれた自然豊かな首都高初のハイウェイオアシスが誕生しました。
商業棟、有料の屋内あそび場(親子1組1500円)があります。
<商業棟> 川口市赤山465-7
商業棟で野菜を売っており東北の商品が中心で地元産ではありませんが、山形県産のなめこ\100を買いました。
野菜は全般的に割安と思います。
栃木と東北との土産品も豊富に置いています。
東北道に直結する首都高の特色が出ています。