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 小日向(こびなた)本法寺


○小日向(こびなた)本法寺 文京区小日向1-4-15 HP
 
 夏目家累代の菩提寺で、夏目家の墓があるお寺です。
 漱石の「坊ちゃん」に出てくる下女の「清」のお墓がある小日向の「養源寺」は、本法寺がモデルであるといわれています。
 なお、養源寺には漱石の同級生だった米山保三郎の墓があり、米山の祖母「清」が葬られています。
 なお、漱石は五女雛子の墓を雑司ヶ谷墓地に求め、漱石と妻鏡子もそこに葬られています(こちらで記載)。
 小日向は住居表示は「こひなた」ですが、地元では「こびなた」と呼びます。寺のHPアドレスも[kobinata]です。
 本法寺には几号水準点があります。
 

「江戸名所図会 金剛寺 氷川明神社 本法寺」

 「金剛寺」(中野区上高田に移転)、「氷川明神社」(小日向神社)、「日輪寺」、「本法寺」が描かれています。
 左半分の下に日輪寺と本法寺が描かれており、本法寺は本堂が見えるだけです。

   
 

「江戸切絵図」

 江戸切絵図では「本方寺」とあります。
 神田上水沿いには、将軍直衛の弓・鉄砲隊である「御持筒組」「御先手組」「御持組」や「御鎗組」、
 将軍の親衛隊である「御書院番組」が集中しています。
 他には「御勘定組」や「御賄方組」(江戸城内へ食料品を供給)「御台所組」が見えます。

  
 

<寺号標>

 カーブミラーのような寺号標です。
 ちなみに支柱にカーブミラーが付いています。
 境内に几号水準点が刻まれている台座が見えます。

    
 

<早稲田大学で教鞭をとった文豪シリーズ>

 門前に夏目漱石について刻まれているレリーフが掲げられています。

(レリーフ文)
「高源山随自意院本法寺は、東本願寺の末寺で、 眞宗大谷派に属し、夏目漱石(金之助)の菩提寺である。
 夏目家は、代々江戸の名主をつとめた。明治十四年一月に母、二○年三月に長兄、六月に次兄が本法寺に葬られた。それ以来、漱石はしばしば小日向を訪れた。亡き母を詠んだ句もある。兄の死を悼んだ英文のスピーチを旧制一高で弁じたこともある。蓮如の「御ふみ」の言葉を友人子規に書き送りもした。作家となってからは「坊ちゃん」の清の墓をここに設けるなど、漱石の心の中に本法寺の幻はゆらめきつづけた。
 境内には、早稲田大学第十四代総長奥島孝康が揮毫した漱石の句碑 がある。
  早稲田大学創立125周年記念
  「早稲田大学で教鞭をとった文豪シリーズ」」

   
 

<几号水準点>

 天水桶(鉄水鉢)が置かれていた台座の左側面に几号水準点が刻まれています。
 戦時供出により台座のみ残っています。

     
 

<漱石句碑>

 境内のブロック塀の前に「漱石句碑」があります。

 「梅の花 不肖なれども 梅の花 夏目漱石」

    

(碑文)
「夏目漱石は、明治二二年二月五日に「兄の死」と題し一高で英語の演説をし、墓参の心境と境内の情景を語った。二九年正月松の内には本法寺で「展先妣墓」として「梅の花不肖なれども梅の花」と詠んだ。名作「坊ちゃん」の清の墓のモデルも他ならぬ小日向の菩提寺のこの墓である。
  平成一四年三月吉日
   早稲田大学総長 奥島孝康 識」

  
 

<若松翁之碑>

 どなたでしょうかね。

  
 

<本堂/庫裡>

   
 

<夏目家墓>

 墓所に夏目家墓があります。「夏目墓」「夏目氏」とあります。
 漱石の父母、長兄・次兄・三兄など近親の方々が眠っています。
 住職の奥さまから、わかりにくいですよとのことでしたが、墓所の上から見ていくとさほど労せずありました。

     


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