Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 築地居留地跡 発祥の地

 【明石町緑道】
  ○ 青山学院記念の地
  ○ 女子聖学院発祥の地
  ○ 明治学院発祥の地
  ○ 指紋研究発祥の地(ヘンリー・フォールズ住居跡)

 【居留地中央通り】
  ○ 雙葉学園発祥の地
  ○ 東京中学院発祥の地
  ○ 暁星学園発祥の地

 【聖ルカ通り】
  ○ 女子学院発祥の地
  ○ 立教学院発祥の地
  ○ 日本文化事始の地
    ・慶應義塾発祥の地
    ・蘭学の泉はここに
  ○ 都市型保健所発祥の地

 【その他】
  ○ 工学院大学学園発祥之地
  ○ 東京税関発祥の地 別ページ
  ○ 電信創業之地 別ページ


【明石町緑道】
青山学院記念の地 中央区明石町6-24

 歩道に「青山学院記念の地」碑があります。

(碑文)
「青山学院 記念の地
  海岸女学校
  一八七七年 開校」
「青山学院は、米国メソジスト監督教会の宣教師により創立された三つの学校を源流としています。
 「海岸女学校」は、ドーラ・E・スクーンメーカーによって創立された源流の一つ「女子小学校」(一八七四年麻布に開校)が「救世学校」を経てこの地で大きく発展し
たもので、明治の女子教育に多大な足跡を残すとともに、青山学院の礎となりました。
  二〇〇八年三月
  学校法人 青山学院」

   

女子聖学院発祥の地 中央区明石町6-23

(碑文)
「女子聖学院発祥の地」
「この地は女子聖学院発祥の地もと築地居留地14番であった。そこに建つ14番館が、宣教師ジョン・マッケシブ先生の居宅だった。1905年、米国のクリスチャン・チャーチ(ディサイプルス・オブ・タライスト)の宣教師バーサ・F・クローソン女史が借り受け婦人伝道師の養成を始めた。開校式は同年11月1日教師3人に生徒10人であった、という。今日では幼稚園から大学院までを擁する総合学園となっている。
 学校法人 聖学院」

    

明治学院発祥の地 中央区明石町7-20

(碑文)
「明治学院発祥の地
 明治学院は1877年(明治10年)
 ここ旧築地17番地に開設された
 東京一致神学校を基とする
  これを記念しこの碑を建てる」
「一九八七年十月三十一日建立
 学校法人 明治学院
 第九代学院長 平出宣道」

    

指紋研究発祥の地(ヘンリー・フォールズ住居跡) 中央区明石町8-1

(碑文)
「指紋研究発祥の地 ヘンリー・フォールズ住居の跡
 ここは明治初年にあった築地居留地の18号地で英国人医師ヘンリー・フォールズ(1843〜1930)が明治7年から同19年(1886)に至る滞日中に居住した所である フォールズはスコットランド一致長老教会の宣教師として来日しキリスト教布教のかたわら築地病院を開いて診療に従事しまた日本人の有志とはかって盲人の保護教育にも尽力した
彼はわが国で行われていた指印の習慣に興味をもちたまたま発掘された土器に印象されていた古代人の指紋を発見しこれにヒントを得てここではじめて科学的な指紋の研究を行なった
明治13年(1880)10月英国の雑誌「ネーチュア」に日本から投稿した彼の論文は科学的指紋法に関する世界最初の論文といわれ その中で早くも犯罪者の個人識別の経験を発表し また指紋の遺伝関係にも言及している 明治44年(1911)4月1日わが国の警察において はじめて指紋法が採用されてから満50年の今日 ここゆかりの地に記念碑を建立し その功績をたたえるものである」

   


【居留地中央通り】

  

雙葉学園発祥の地 中央区明石町1-6

 ふたば葵の葉をかたどったデザインの2本の石碑が「雙葉学園発祥の地」碑です。

(碑文)
 「徳に於ては純真に
  義務に於ては 堅実に
   明治四十二年
   雙葉学園発祥の地」

  

東京中学院発祥の地 中央区明石町1-15

(碑文)
 「関東学院の源流
  東京中学院発祥の地
  一八九五年九月十日、ここ築地居留地四二、四三番地で
  米国バプテスト伝道協会が東京中学院を設立した
  関東学院教育の源流はここに発する」

    

暁星学園発祥の地 中央区明石町5-26

 カトリック築地教会の前の歩道に「暁星学園発祥の地」碑が建っています。
 碑の上には聖書が開かれています。

(碑文)
 「明治二十一年(一八八八)創立 暁星学園発祥の地」

   


【聖ルカ通り】

  

女子学院発祥の地 中央区明石町10

  

立教学院発祥の地 中央区明石町10

  

日本文化事始の地 中央区明石町11

 「日本文化事始の地
  「慶應義塾発祥の地」
  「蘭学の泉はここに」
    1982 2月3日」

   

慶應義塾発祥の地」

 1858年、福沢諭吉は、鉄砲洲中津藩中屋敷に蘭学塾を開き蘭学を教えました。

(碑表)
 「安政五年福沢諭吉この地に学塾を開く
  創立百年を記念して昭和三十三年慶応義塾これを建つ」

(碑横)
 「慶応義塾の起源は一八五八年福沢諭吉が中津藩奥平家の中屋敷に開いた蘭学の家塾に由来する。
  その場所はこれより北東聖路加国際病院の構内に当る。
  この地はまた一七七一年中津藩の医師前野良沢などがオランダ解剖書を初めて読んだ由緒あるところで、
  日本近代文化発祥の地として記念すべき場所である。
   一九五八年四月二十三日除幕」

    

   

蘭学の泉はここに」

 前野良沢・杉田玄白・中川淳庵の3人が、奥平家中屋敷で、
 オランダ語の解剖書『ターヘル・アナトミア』の翻訳を行いました。
   
   

都市型保健所発祥の地 中央区明石町12-1

 中央区保健所の入口左手の壁に、「都市型保健所発祥の地」があります。

<都市型保健所発祥の地>

(プレート文)
 「都市型保健所発祥の地
   沿革
   昭和10年 1月 東京市特別衛生地区保健館として誕生
   昭和12年12月 ロックフェラー財団の基金による庁舎援助
   昭和19年10月 東京都立中央保健所となる
   昭和23年10月 東京都中央保健所となる
   昭和50年 4月 東京都中央区中央保健所となる
   昭和57年11月 現庁舎竣功」

  


【その他】
工学院大学学園発祥之地 中央区築地7-2

 あかつき公園の入口にあります。
 工学院大学は明治21年にこの地に創設された「工手学校」に始まります。

    


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