Discover 江戸史蹟散歩
 
 箱崎川

  ○ 行徳河岸と塩の道
  ○ 蛎殻河岸と通運丸
  ○ 三又
  ○ 箱崎川の埋め立て


行徳河岸と塩の道 中央区日本橋小網町1

 箱崎川には、江戸時代、行徳河岸、蛎殻河岸が置かれていました。
 行徳河岸跡には、中央区の説明板「行徳河岸」が設置されています。
 説明板によると、寛永9(1632)年、本行徳村の村民が小網町三丁目先の河岸地を幕府より借り受け、
 江戸と行徳の間で物資と旅客の輸送を開始したことにあります。
 江戸と行徳とをむすぶ行徳船は毎日運航され、成田山新勝寺の参詣など多くの人びとが、この水路を利用しました。
 行徳船は明治に入り、蒸気船の普及で圧倒され、明治12(1879)年に廃止となりました(郷土室だより第164号による)。

  
 

<行徳河岸>

(説明板)
「行徳河岸
  所在地 中央区日本橋小網町一‐三 番先 地域
      中央区日本橋蠣殻町一丁目一番先 地域
 かつて、箱崎町と小網町・蠣殻町の間には、運河である箱崎川が流れていました。寛永九年(一六三二)、南葛西郡本行徳村(千葉県市川市)の村民が小網町三丁目先の河岸地を幕府より借りうけ、江戸と行徳の間で、小荷物や旅客の輸送を開始して以来、ここは行徳河岸と呼ばれるようになりました。江戸と行徳とをむすぶ船は毎日運航され、成田山新勝寺の参詣などで房総に向かう多くの人びとが、この水路を利用しました。
  平成十四年三月  中央区教育委員会」

    
 

「江戸切絵図」

 箱崎橋(当初は崩橋)の袂に「行徳河岸」はありました。

  
 

「江戸名所図会 天王祭」

 天王祭其二及び其三を連結して行徳河岸付近の抜粋です。

  
 

「東京名所四十八景」「小綱丁箱崎橋よりミなとはし遠景」(昇斎一景 都立図書館蔵)

 「箱崎橋」「湊橋」「霊岸橋」が描かれています。

  


蛎殻河岸と通運丸

 明治10(1877)年に就航した内国通運会社(飛脚問屋が集まり創業、現在の日本通運株式会社)の「通運丸」は、
 利根川水系を代表する長距離航路の定期貨客船でした。
 両国橋の袂と蛎殻河岸に始発場がありました。
 通運丸には、田山花袋や森鴎外等も乗船しています。
 なお、内国通運会社社長の顕彰碑「佐佐木莊助君之碑」(明治28年建碑。篆額は前島密)が隅田川神社にあります(こちらで記載)。
 
「東京両国通運会社 川蒸気往復盛栄真景之図」(歌川重清 明治15年 足立区立郷土博物館蔵)

 内国通運会社の通運丸乗船所(両国)と外車式汽船通運丸が描かれてます。
 乗船所入口には「郵便御用蒸気通運丸乗船所」と書かれた看板と、寄港地の河岸名を描いた木札が掛けてあります。

   

「成田土産名所尽 行徳新河岸市川」(三代広重 常夜灯公園掲示より)

 明治23(1890)年の市川の行徳新河岸が描かれており、蒸気船「通運丸」が煙をたなびかせて停泊しています。

  

「蛎殻町川岸の図」(井上安治 都立図書館蔵)

 蛎殻町の夕景。川端のほとりのガス灯には火がついています。
 蒸気船「通運丸」が見えます。

  

「東京市及接続郡部地籍地図」(東京市区調査会 大正1年)

 大正元年地図から蛎殻河岸の場所です。

 


三又 中央区中洲 (隅田川テラスの再掲

 箱崎川が隅田川に合流する所に中洲があり、三つ又、三俣と呼ばれました。
 この辺りは、淡水と海水の潮目の境目で「わかれの淵」とも呼ばれました。
 月見の名所として納涼船で賑わいました。

「名所江戸百景 みつまたわかれの淵」(広重)

 隅田川左岸(萬年橋辺りでしょうか)から、右手に三又(中洲)の終端が描かれています。
 現在は箱崎ジャンクションとなっています。

  

「江戸名所道化尽 十九 大橋の三ツ股」(歌川広景)

 昔の新大橋の場所から、下流の三ツ股方面の光景です。
 新大橋の上から飛び込む男たち。
 新大橋の下流は舟遊びの名所で、屋形船にスイカを売ってまわる水菓子の舟が橋の下にいました。
 運の悪いひとりがスイカを積んだ舟に落ちてしまいます。さらにもうひとり、橋から落ちてきています・・・。

  

「東都三ツ股の図」(歌川国芳 シカゴ美術館蔵)

 対岸の小名木川の南側に火の見櫓と並んで、謎の尖塔が聳え立っています(井戸櫓とも言われています)。
 中州では、腐食防止のため船底を焼いています。

  

「三ツ又永代橋遠景」(小林清親)

 三又(中州)から下流の永代橋を眺めたところを描いています。
 右手が三又の終端に当ります。

  

「三ツ又永代」(井上安治)

 小林清親と同じ構図ですが、左手に立ち上っている煙が見えます。
 浅野セメント製造所の煙突からの煙でしょう。渋沢栄一も関わった降灰事件が起きています。

  


箱崎川の埋め立て

 首都高速道路6号線の建設工事に伴い昭和45(1970)年、箱崎川が埋め立てられ、橋梁は全て撤去されました。
 昭和47(1972)年に設けられたのが首都高速向島線東京シティエアターミナルです。
 小網町にあった行徳河岸は、箱崎ランプの横に当たります。

<箱崎ランプ> 中央区日本橋箱崎町3-23

   
 

<箱崎川第一公園> 中央区日本橋箱崎町2-1

 箱崎川の名称は、公園名などに残っています。
 箱崎川第一公園は、日本橋水門(日本橋川から分かれる亀島川の起点)の面前にあります。

     


戻る