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 慈尊院


○慈尊院 草加市稲荷4-3-23

 草加市内では一番古い庚申板碑があります。

<庚申板碑> 草加市文化財

 板碑型庚申塔が三基並んでいます。左から、
 寛永13(1636)年銘、正保4(1647)年銘、承応元(1652)年銘と並んでいます。

     

(説明板)
「昭和五十六年一月三十一日指定 市指定有形文化財(歴史資料)
 寛永十三年山王二十一仏庚申塔
  草加市稲荷四丁目三番二十三号 慈尊院
 庚申信仰は、六十日ごとに訪れる庚申の日に、夜眠らずに過ごすことにより、健康長寿を願うものである。
 この信仰は、道教から発したといわれており、人の身中に宿る三尸九虫が、庚申の日に天に昇り、天帝に人の罪過を告げ、その人の生命を縮めようとするため、これを防ごうと夜を眠らずに過ごすというものである。庚申信仰は平安時代から始まったといわれるが、庚申塔の造立は室町時代から始まり、江戸時代になり盛んになった。
 慈尊院にある山王二十一仏庚申塔は、高さ一・〇九メートル、幅〇・三九メートル、厚さ〇・二メートルの板碑型である。中央最上部にキリーク(阿弥陀如来)の種子、その下には山王二十一仏の種子が記されている。庚申塔中央部には「奉果庚申待二世成就攸」とあり、また、その左右には
「寛永十三年丙子十一月吉日敬白」(寛永十三年は一六三六年)と年紀が記され、さらにその下方左右には、四行にわたり講中八人の名が連記されている。
 山王二十一仏の庚申塔は、草加市内に二例あるが、この庚申塔は、中世の山王二十一仏庚申板碑の系統をひくものであって、草加市内で最も古く、また山王二十一仏庚申塔としては、隣接市区を通じて最初に造立されたものであり、近世の庶民信仰を知るうえで貴重な資料であるといえる。
  平成二十二年三月  草加市教育委員会」

  
 

<真言宗豊山派 慈尊院>

   
 

<地蔵堂>

  
 

<十二天中水天(水神)碑>

「此の石碑は、明治四十四年東京都よりの糞尿運搬船の船主八名の発起により、その航路の水難防災を祈念して船頭各位の浄財を以て、古川河畔稲荷町六五〇番地先に建立されていたが、都市計画の道路拡張工事の為、草加市の要請により、当院境内に移転奉祀せるものである。清瀧山慈尊院」(説明板抜粋)

  
 

<清瀧大権現>

   

(説明板)
「清瀧大権現堂再建の沿革
抑々、清瀧山慈尊院は永録八年(西暦一五六五年)開基秀長と伝承される寺歴四世紀半を有する古刹にて、当時より清瀧山と号するは、清瀧大権現を祭祀するが為也
其の、清瀧大権現は、古来より秘仏として、本堂の一隅に奉祀せられしを、昭和十一年、当院前住職麦倉宗隆僧都は浅井松之助、浅井三五郎、深井甚五郎、浅井専太郎の四名と相諮り壇徒より勧募し、鶴ヶ曽根一九一、棟梁斎藤弥平に命じ、此の地に堂宇を建立せしが、長年の風雨並に虫害により、倒壊の寸前に至りし為、昭和五十八年五月時恰も弘法大使一一五〇年の御遠忌に当り記念事業として慈尊院建徳妙艶大姉一周忌成三大菩提の為に当院檀徒総代草加市議会議員、浅井満夫は志を立て棟梁浅井長治に命じ、清瀧大権現堂の再建並に他畔石垣の整備を行いたるものなり。
 昭和六十三年五月当慈尊院七回忌刻此銘板
  清龍山慈尊院
   第丗世住職権大僧正 麦倉敏夫
   施主檀徒総代    浅井満夫」

  
 

<六地蔵/石塔>

 門扉手前右側に六地蔵、その左右に石塔。
 左脇は、天保13(1842)年銘の普門品供養塔(左)と、天明2(1782)年銘の大乗妙典供養塔(右)。
 右脇は、寛政12(1800)年銘の庚申塔(左)と、天保6(1835)年銘の庚申塔(右)。

     
 

<無縁塔/力石>

 無縁塔に力石があります。

   
 

<本堂など>

     


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