○ 不動門参道
○ 仁王門参道
・出羽三山供養塔
・影向の松(国天然記念物)
境内には横綱栃錦像、春日野理事長(栃錦)が影向の松を全国松番付で横綱に推挙した石碑、影向の松の大横綱、
式守伊三郎報恩碑、横綱山など、横綱栃錦が小岩出身だったため相撲に関わるものが多々あります。
(仁王門の説明板)
「善養寺
善養寺は真言宗豊山派で星住山地蔵院と号します。室町時代の大永七年(1527)山城(京都)醍醐山の輌澄法印が霊夢のりお告げによって小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのが始まりと伝えられています。永正六年(1509)柴屋軒宗長「東路のつと」に当寺の記事があることから、寺の草創は寺伝よりさかのぼるものと考えられます。
慶安元年(1648)徳川家から寺領十石の御朱印受けた名刹で、現在の本尊地蔵菩薩は江戸時代の作です。境内に不動堂があり「小岩不動」と呼ばれています。
□影向のマツ
(国指定天然記念物 平成二十三年九月二十一日指定)
(江戸川区登録天然記念物 昭和五十六年一月十三日登録)
東西の枝の長さ約三十一メートル、南北約二十八メートルに及ぶこの巨大な松は樹齢六00年と推定され、繁茂面積では日本一を競います。「影向」とは神仏が姿をあらわすという意味です。
□天明三年浅間山横死者供養塔
(東京都指定有形文化財 昭和四十八年七月指定)
(江戸川区登録有形文化財 昭和五十六年一月登録)
天明三年(1873)に起った信州浅間山噴火の被害者が当地先の江戸川へ流れつき、当寺に葬られました。この塔は十三回忌に当たる寛政七(1795)に地元の人びとによって建てられました。
□小岩不動尊逆井道向石造道標
(江戸川区登録有形文化財、昭和五十八年三月登録)
□小岩不動尊市川向石造道標
(江戸川区登録有形文化財 昭和五十八年三月登録)
二基とも当寺への道を示す道標です。
平成二十三年十一月 江戸川区教育委員会」
境内への参内は、不動門と仁王門があります。
まずは不動門からの参内です。
<案内>
「真言宗豊山派 善養寺」
「開基室時代 小岩不動尊
繁茂面面積日本一 影向の松」
<青面金剛>
青面金剛と刻まれた庚申塔(文政8(1925)年)と青面金剛(寛政2(1790)年)があります。
右に馬頭観音。
小屋の外に水神。
<天明三年浅間山噴火横死者供養碑> 東京都文化財
天明3(1783)年の浅間山大噴火の犠牲者を弔う供養碑で、十三回忌に当たる寛政7(1795)年に建立されました。
(説明板)
「天明三年浅間山噴火横死者供養碑
東京都指定有形文化財 昭和四十八年七月十八日指定
江戸川区登録有形文化財 昭和五十六年一月十三日登録
天明三年(一七八三)七月、浅間山(長野県)の大噴火がありました。関東一帯に火山灰が降り、山麓では山津波がおこり多くの人家が押し流されました。多数の犠牲者の遺体が利根川や江戸川を流れ下り、この付近の中洲にも流れつきました。地元の下小岩村の人々は、遺体を収容し、手あつく寺内の無縁墓地に埋葬しました。寛政七年(一七九五)の七月に十三回忌をいとなみ、この供養碑を建て、その霊を弔いました。
この供養碑は、昭和三十年ごろから行方不明になっていましたが、四十七年に寺内て発見され、ここに再建されました。
平成二十四年三月 江戸川区教育委員会」
<傘の碑>
かつて小岩は和傘の名産地で、昭和5(1930)年建立の「笠の碑」があります。
(説明板)
「史跡 傘の碑
小岩、特に下小岩入谷(現東小岩二・四丁目)付近は、かつては和傘づくりが盛んに行われ、その販路は全国に及んでいた。小岩で傘が作られるようになったのは、一説では里見方の落武者が、この地で傘張りで生計をたてたのが始まりといわれるが、実際に広まったのは江戸時代で、青山付近に住む小禄の御家人が、内職として傘細工を行っていたものを、小岩の村人がそれに師事して技術を習得し、農閑期の副業としてとり入れたのが最初のように思われる。その後、明治後期より大正末期が最盛期で、小岩の傘は「東京の地張傘」と称され、特に蛇の目は高級品であった。
この碑は、これら地張り組合員の中で、特に業界に功績のあった、川野竹松氏を讃えるために、昭和五年三月建立されたものである。
昭和五十三年三月 江戸川区教育委員会」
<全景>
<不動門>
不動門をくぐると、目の前に影向の松があります。
<講の2つの記念碑>
不動門をくぐると右手に講の2つの大きな記念碑があります。
<鐘楼/弘法大師像修行御影>
<不動堂>
不動門から入って、正面が不動堂となります。
手水鉢には「奉寄進庚申講中」と刻まれています。
「奉庚申待」とでも刻まれていれば庚申塔に分類しますが、庚申講が手水鉢として寄進という整理にします。
参道の始まりに道標と庚申塔などがあります。
<道標左>
右から「小岩不動尊逆井道向石造道標」(江戸川区文化財)、「出羽三山供養塔」、「庚申塔」(元禄4(1691)年)、「庚申堂」と並びます。
道標には「是より南三丁 逆井道通りぬけ」とあります。
「羽黒山 湯殿山
月山 供養塔」
出羽三山単独の供養塔があります。
右側面には「天下泰平 國土安穏」とあります。造立は文化6(1809)年です。
これが目的の参詣でしたが、善養寺は見所満載でした。
<参道右>
左から「小岩不動尊市川道向石造道標」(江戸川区文化財)、「庚申塔」(文政13(1830)年)、「青面金剛」(文政5(1822)年)と並びます。
道標には「是より右三丁入 市川通りぬけ」とあります。
<仁王門>
仁王門は、寛保年間(1741年頃)の建立です。
<当地出身 名人横綱栃錦像>
仁王門仁王像の裏には、栃錦像があります。
<大横綱>
影向の松の幹に合わせた大横綱を、春日野理事長(元栃錦)が奉納しています。
仁王像の裏にあります。
<横綱山>
過去に境内で子供相撲が開かれていた歴史があり、土俵の土は「横綱山」となっています。
(説明板)
「横綱山
昭和五十五年九月七日 この庭で行われた子供相撲大会に、小岩出身の名横綱栃錦関(春日野理事長)が一門の、栃赤城、舛田山、栃光ら関取衆をつれて参加されました。
それから平成二年まで春日野さんは毎年九月の大会にお出でになり後輩たちを励まして下さいました。
この山は、その土俵の土で作った山です。郷土の先輩大横綱のはげましに答えて頑張りましょう。
上って下りて又のぼり 足腰きたえて 元気な子
子供相撲主催団体 入谷友交会
山上からの松の眺めは、素敵です。」
<軍配物語和讃/報恩碑>
軍配物語和讃が刻まれた式守伊三郎の報恩碑です。
式守伊三郎が、師匠の遺品である白木のままの軍配を使用した話を、当時の住職の息子さんで、
現在は密蔵院の住職さんが「報恩軍配物語」として綴っています。感動。「報恩軍配物語」
こういう松を見ることができるとは驚きました。
樹齢600年以上、その枝ぶりは東西31メートル、南北28メートルになり、日本一の繁茂面積を誇ります。
(説明板)
「善養寺影向の松
国指定天然記念物 平成二十三年九月二十一日
江戸川区登録天然記念物 昭和五十六年一月十三日登録
影向のマツは推定樹齢六00年余、主幹の樹高八m、根元付近の樹周約四.五mのクロマツです。地上二mの位置で、四方に枝が伸び、東西方向約三十一m、南北方向約二十八mに及び景観の秀麗さとあわせて日本屈指の威容を誇ります。
大町桂月『東京遊行記』(明治三十九年)に、「一大老松の横に広がる者あり。凡そ十間四方に及ぶ。支柱は百を以て數うべし。(中略)東京付近、松の奇観はこの寺に尽きたり」とあります。鏑木清方『新江東図説』(昭和十二年)には、「珍しいのは亭々として雲を凌ぐ星降りの松にも増して、その傍に巨大な傘をさしかけたような影向の松であろう」と書かれています。
昭和五十六年、四国の岡野松と日本一を競い、当時の大相撲立行司木村庄之助によって東西の横綱に引き分けられました。その後、樹勢に衰えが見られましたが、平成十四年度から平成二十三年度まで樹勢回復事業により回復に向かっています。
平成二十三年十一月 江戸川区教育委員会」
<横綱推挙石板>
春日野理事長の、松の横綱に推挙するとの石板です。
影向のマツとの日本一争いでも名高かった岡野マツは、1993年に枯れたため、影向のマツの一人横綱となっています。
<影向の石>
影向のマツの根元にあるのが影向の石です。
〇参道右手
<お釈迦さま聖地宝塔>
宝塔の周囲にインドの八箇所の聖地の砂が埋められており、お砂踏みができる宝塔です。
昭和33(1958)年に開眼法要が営まれました。
<日露戦役記念碑ほか>
この手の碑は「紀念」が一般的表記ですが、「記念」と刻まれています。
日露戦役記念碑は「大山巌書」です。
<力石> 江戸川区文化財
力石が11個並んでいます。江戸川区登録文化財です。
<無縁塔>
無縁塔の右手に、天和2(1682)年銘の庚申地蔵があります。
右脇に「奉造立庚申待結衆二世成就」とあります。
庚申地蔵の右には、文化5(1808)年銘の三界萬霊塔があります。
<他>
〇参道左手
<庚申塔>
新四国遍路道の入口に庚申塔があります。享保3(1718)年銘です。
<新四国遍路道/四国八十八ヶ所霊場>
簡易に巡れる四国八十八ヶ所霊場です。
中央の敷石を踏んで両側の88ヶ所の石祠を巡礼すると、四国遍路をすることができます。
大正時代に造られたものです。
碑に刻まれている句の内容から、鯖をもらった行基の像だと推測します。
見応えある句碑と行基像です。
「阿州八坂八浜 行基堂
あふさかや八坂さかなか鯖ひとつ行基にくれて馬の
はら病む はら止む」
<大師堂>
大師堂の横に寄進の碑。近くに詳細不明の碑。
<特操顕彰の碑>
<本堂/びんずる尊者>
本堂の左手にあるのは「密厳宝塔」です。
本堂内
本堂内左手に「びんずる尊者」が祀られています。