Discover 江戸史蹟散歩
 
 善照寺 出羽三山供養塔


○善照寺 江戸川区東小松川3-3-19

<山門>

 山門の門は閉じているので、脇の扉から入ります。
 駐車場から入ると、本堂の脇に出ます。

   

 善照寺には、江戸川区で最初の公立小学校「葛西学校」が開校されました。

(説明板)
「善照寺
 真言宗豊山派に属し、医王山薬王院と号します。本尊は大日如来です。起立の年月は不詳ですが、開山は隆範上人(大永二年(一五二二)入寂)を中興の祖とします。慶安元年(一六四八)に徳川家光六石の御朱印地を受けた名刹で、古くから浮洲浅間神社の別当をつとめました。所蔵する銅碑墓版は文政十年(一八二七)に地中から発見され、「成田参詣記」などにも記されています。
 また元禄十二年(一六九九)に横綱明石志賀之助が境内で引退相撲をおこなったことをきっかけとし、毎年不動尊の縁日には草相撲が開催されていたことから、通称「相撲寺」とも呼ばれています。
■旧葛西学校跡
   江戸川区登史跡
   昭和六十二年(一九八七)二月登録
 江戸川区最初の公立小学校「葛西学校」は、明治九年(一八七六)十月に、善照寺を教場として開校しました。校舎を新築し移転する明治十四年(一八八一)一月まで理容されました。
  令和五年三月  江戸川区教育委員会」

  

【無縁塔群】
 山門入って参道右手に無縁塔の他、様々な石造物があります。
 出羽三山供養塔二基と、庚申塔二基を見ます。

    

出羽三山供養塔>

 「月山 湯殿山 羽黒山 奉造立観世音百・・・」

 出羽三山の下部がよく見えませんが百観音霊場の供養塔のようです。
 裏面を見ると、弘化2(1845)年11月の造立です。

     

出羽三山等供養塔>

 「高野山」「月山 湯殿山 羽黒山」「坂東 西國 秩父」と刻まれた大きな塔です。
 紀年は見当たりませんが、出羽三山の記載順が明治時代から変わるので、江戸時代の造立と思われます。

    

<青面金剛像庚申塔>

 視認できませんが、宝永8(1711)年銘の庚申塔です。

   

<地蔵菩薩像庚申塔>

 左肩に寛文12(1672)年銘(石碑の左が欠け、寛の文字は欠けています)の地蔵尊を主尊とする庚申塔です。
 右肩に「庚申待供養」とあります。

   

<六地蔵と八観音>

 山門入って参道左手に六地蔵と八観音が並んでいます。
 八観音のうち左から4番目に馬頭観音があります(逆光となりました)。

     

<南無観世音菩薩>

 無縁塔群の隣にあります。

  

<大師堂>

 参道右手の大師堂です。

   

<宝篋印塔>

 大師堂の左に、石燈籠二基と「宝篋印塔」があります。
 石燈籠は、その銘「奉為高祖九百五十遠忌報恩謝徳也」によると、
 天明4(1784)年の弘法大師九百五十年遠忌に建てらています。

   

<八幡堂>

  

<不動堂>

  

<閣老王殿>

  

<日露戦役忠死者之塔>

 閣老王殿の奥に、日露戦役の慰霊塔があります。

 (正面)
  「日露戦役忠死者之塔」

 (台座)
  「明治三十九年五月 松江村兵事義會」

    

<報徳紀念碑>

  

<手水鉢>

 参道左手の寛政9(1797)年銘の手水鉢です。

  

<鐘楼>

 梵鐘は昭和36(1961)年に改鋳されたものです。

   

<力石>

 力を要する米俵の運搬や農作業の多かった江戸川区内には、東京都内で最多の力石があります(江戸川区郷土資料室)。
 善照寺の植栽の境石に力石等が多く使われています。

    

   

<南無大師遍照金剛>

  

<本堂>

  

<當庵開基 賢明上人>

 當庵開基とありますが、どこの開基の賢明上人なのかわかりません。

   


戻る