Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 東京市場線跡

  ○ 離宮前踏切跡
  ○ 新尾張橋
  ○ 築地魚河岸と中央卸売市場


離宮前踏切跡 中央区銀座8-20

 汐留駅(港区東新橋)と築地中央卸売市場内の築地市場駅(中央区築地)間に、
 貨物専用線「東京市場線」(正式名称:東海道本線貨物支線)が敷設されていました。
 昭和10(1935)年2月、築地市場の開場と同時に開業した長さ1.1kmの貨物線で、昭和62(1987)年1月まで運用されました。

 横断歩道の傍らに踏切警報機が建っています。
 「銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機」の看板が見えます。

      

     

(説明板)
「浜離宮前踏切 説明
  所在地 中央区銀座八丁目21番1号先
 この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987) 1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
 最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
  昭和62年(1987)12月」

 ※東京市中央卸売市場・築地本場の開場は昭和10(1935)年で、東京市場駅も昭和10(1935)年2月11日開業です。
  説明板には昭和6年から昭和62年まで56年間運用とあります。
  大正12(1923)年12月1日に築地に東京市魚市場が開設され、東京市中央卸売市場・築地本場が昭和8年12月に竣工しています。
  築地本場の工事進捗状況の資料によると、鉄道引込線は昭和8年2月に着手され、昭和9年8月に竣工しています。
  場内2,171メートル、場外543メートル、合計2,714メートルを延長とあるので、汐留駅から8,386メートル部分は既に敷設されていたのですかね?

  

(説明板)
「保存理由
 元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架かっていました。
 汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914年)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運送のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
 都民の暮らしの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。
  昭和62年(1987年)12月
    銀座八丁目町会
    銀座御門通り会
    銀座金春通り会」

  

○支線跡 中央区銀座〜築地

 踏切信号機が残るこの道が築地中央卸売市場へと続く支線跡です。
 左手に「銀座郵便局」(銀座8-20-26)、右手に「ベルサール汐留」(銀座8-21-1)、正面に「朝日新聞社」(築地5-3-2)。

     

 新尾張橋を越えて、朝日新聞社横から築地市場跡へ。

    

   

 築地界隈散歩マップにも記載されています。

  

新尾張橋 中央区銀座8-20・8-21〜中央区築地5-3・5-5

「市場専用鉄道側線築地川鉄橋」(東京市中央卸売市場築地本場・建築図集 東京市 昭和10年1月)

 東京市場線は、築地川に築地川鉄橋が架かっていました。
 現在は、築地川鉄橋は撤去され、道路橋「新尾張橋」に架け替えられています。
 ここから100m下流の場所に「尾張橋」が架けられていました。

   

<現在の新尾張橋>

 埋立てられた築地川跡は、首都高速となっています。
 現在は首都高速に架かる新尾張橋です。

 新尾張橋から首都高速〜千代橋       中央区銀座から新尾張橋
   

 中央区築地から新尾張橋
    

<橋名板>

     

(説明板)
「この場所は、江戸時代尾張徳川家の築地下屋敷のあった場所です。
 敷地内に、水運のために入堀を設け、江戸における尾張藩の物流の拠点となっていました。明治時代になると、海軍の施設となり、関東大震災後は東京都中央卸売市場などの用地となりました。
 尾張藩は、この地点から下流約100mの場所には江戸時代初期(寛文1661〜72)のころから築地川に架橋され築地と銀座を結んでいましたが、その後、道路計画により新大橋通りの道路敷となり、昭和40年はじめ撤去消滅しました。
 この橋は、築地市場の再整備にあたり、汐留から市場への鉄道引込線を一般区道に改修することになり、新たに鉄道橋を道路橋に架け替えたものです。
 架替えにあたり、尾張藩の名を残すために、橋の名を新尾張橋と命名したものでものであります。
  平成4年8月成」

  

築地魚河岸と中央卸売市場 中央区築地5丁目・6丁目

「大東京名所繪はがき集 魚河岸」(主婦之友社 昭和7年9月 東京都立図書館蔵)

 東京市は、大正12(1923)年12月1日に築地の海軍用地の一部に、バラックを建設し東京市魚市場を開設しました。
 そして、当時芝浦埋立地で仮営業を開始しつつあった旧日本橋魚市場組合を移転させました。
 この臨時魚市場は、築地本場建設工事に支障があり、新たに仮魚市場が建築され、昭和5(1930)年7月に竣工しました。
 (「東京市中央卸売市場築地本場・建築図集」(東京市 昭和10年1月)を参照しました。)

 絵はがきを見ると、築地川東支川に沿って、バラックが建ち、その奥にクレーンが見えます。
 中央卸売市場築地本場が建設中なのがうかがえます。

(解説)
「魚類の大集散市場としての魚河岸は、日本橋際にあって、昔から江戸名物一つに数えられていましたが、大震災後、都市計画の都合で築地に移されました。夜も明け切らぬうちから、こゝに押寄せる鮮魚買出人は、一日二万三四千人、貨物自動車だけでも一千台に達し、これが午前九時前後には、すっかり四方へ散らばってしまいます。」

  

「東京市中央卸賣市場築地本場竣工記念繪葉書」(東京市 昭和8年12月 東京都立図書館蔵)

 昭和8(1933)年12月に、東京市が「東京市中央卸賣市場築地本場竣工記念繪葉書」を発行しています。
 築地市場へ向かう線路が認められ、ホームも完成しています。

 築地本場竣工記念絵葉書/機上ヨリ見タル築地本場/魚類第一卸売人売場ホームヨリ

     

「東京市中央卸売市場築地本場・建築図集」(東京市 昭和10年1月 東京都立図書館蔵)

 全景図とプラットホームの抜粋です。
 市場の外周に、弧を描いたプラットホームと引込線が見えます。

    


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