【理学部】
○ 山川健次郎像
○ エドワード・ダイヴァース像
○ 海底地震計
○ 調音場通信装置制御モジュール
波形記録装置
物理学者「山川健次郎」像です。
東大最初の公選による総長で、2度の総長の期間は歴代最長です。
安田講堂を背に、理学部1号館に向いて建っています。
山川男爵の喜寿を祝して贈られた像ですが、曾孫と孫により平成18(2006)年に寄贈された像です。
(台座銘)
「財團法人日本教化團體聯合會々長
男爵山川健次郎先生ノ喜壽ヲ祝褥シ
記念ノ爲ノ之ヲ贈ル
昭和五年孟冬 男爵山川健次郎喜壽祝賀會」
(説明板)
「山川健次郎 1854〜1931
会津若松の山川重固の三男として生まれる。少年時代に白虎隊士を経験したのち、米国エール大学で物理学を学んだ。
帰国後、東京開成学校教授補などを経て、明治12年に26歳の若さで東京大学理学部の物理学主任教授に就任した。
清廉潔白な人柄は多くの人の信頼を集め、社会を導く人という意味で「星座の人」と呼ばれた。大学が自治問題に揺れる中、2度にわたり東京帝国大学総長を務めた。2度目の在任中に自治紛争で揺れる京都帝国大学にも総長を依頼され、10ヶ月にわたって東京帝国大学と京都帝国大学の総長を兼ねた。
九州帝国大学初代総長、貴族院勅選議員、東宮御学問所評議員ほか多くの要職を務め、大正4年に男爵の爵位を授与された。多くの弟子を育てたことでも知られており、学問と教育に情熱を注ぎ日本の礎を築いた。」
「山川健次郎肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
嘉永7年閏7月17日〜昭和6年6月26日(1854年9月9日〜1931年6月26日)
総長室にて新聞を手にする総長
山川健次郎(東京帝国大学 小川一真 明治33年・37年)
山川健次郎 理科大学長 山川健次郎 総長
大正5(1916)年築の理学部化学館南側に「エドワード・ダイヴァース像」が建っています。
「明治三十三年七月有志者建之」
(説明板)
「Prof. Edward Divers (1887〜1912)
ダイヴァース博士は英国で教育を受け、1873年来日、工部大学校都検(教頭)を経て、東京大学理学部が神田錦町から本郷に移った翌年の1886年に、名称変更された帝国大学理科大学化学科の教授に着任、13年間無機化学の教育と研究に多大な貢献をして科学教室の礎を築いた。1899年帰国後も活発な研究活動を続け、英国化学会副会長、工業会会長などを歴任した。1899年、ダイヴァース博士の功績を称えて東京帝国大学名誉教師の称号が贈られた。
制作者:長沼守敬(美術学校教授)1900年」
エドワード・ダイバース 化学教授(東京帝国大学 小川一真 明治33年)
「調音場通信装置制御モジュール 波形記録装置」 理学部7号館前