Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 東京大学 懐徳館

  ○ 懐徳館庭園(国名勝)
  ○ 懐徳門懐徳館の基礎煉瓦
  ○ 春日門
  ○ 富士浅間神社(本富士) 別頁


懐徳館庭園 国名勝 文京区本郷7-3 東京大学

 明治以降、前田家は上屋敷の南西に邸宅を構えていました。
 前田家は大正15(1926)年に駒場の農学部の一部と土地交換をして、昭和3(1928)年に駒場に移りました。
 前田家邸宅は「懐徳館」と名前を変え東大の迎賓館として使用されます。
 和館と洋館は戦災で焼失、和館が昭和26(1951)年に再建されました。
 庭園は、国の名勝に指定されています(2015年3月指定)。非公開ですが、年に一度公開されます。

    
 

懐徳門>

 平成19(2007)年に新設された門です。

   

(掲示)
「懐徳門
 この門は2007年に新設された。名称は明治40年に建てられた懐徳館旧館(旧前田侯爵邸)に由来する。門扉脇の煉瓦造遺構は旧館の基礎を保存、展示したものである。」

  
 

懐徳館の基礎煉瓦>

 明治40(1907)年に建てられた、旧前田侯爵邸洋館の煉瓦基礎が展示されています。

    

(説明板)
「旧前田侯爵邸(懐徳館)西洋館の基礎」
 この煉瓦の塊は、平成6年に総合研究資料館の増築に伴う発掘調査で発見された、旧前田侯爵邸(懐徳館)西洋館の基礎の一部である。玄関脇の地下1階の小室部分にあたる。最下の捨コンクリートの上に煉瓦がしっかりと積み上げられ、中ほどにアスファルトの防水層、床支持材の溝、切石の幅木が回る。
 この地区は、旧加賀藩主侯爵家の敷地であった。当主前田利嗣は明治天皇行幸のために屋敷・庭園の整備を企画し、明治40年に西洋館が竣工した。ルネッサンス風のデザインで地下2階、地上1階の大規模な建築であった。大正12年の関東大震災の後、建物と庭園は東京大学の迎賓施設「懐徳館」になったが、昭和20年3月10日の東京大空襲で炎上し、取り壊された。
 重厚で頑丈な基礎は、かつての優れた西洋館の姿を偲ばせるわずかな遺物である。」

  


春日門 文京区本郷7-2-2

 春日通りに面した春日門で、門の両側の煉瓦壁は旧前田公爵邸の塀遺構であると思われるとのこと。

(掲示)
「春日門
 この門はz2007年に既設の門を改修して整備された。門の両側の煉瓦壁は、明治時代の旧前田公爵邸の塀遺構であると思われる。名称は門が面する春日通りに由来する。」

    


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