○ 旧加賀屋敷御守殿門(赤門) 国重要文化財
○ 正門及び門衛所 国登録有形文化財
○ 東大銀杏並木と安田講堂 文京区ふるさと景観賞
○ 銀杏並木から見た国登録有形文化財
○ 安田講堂 国登録有形文化財
○ 濱尾新先生像
○ 工学部1号館 国登録有形文化財
○ 広報センター 東京都歴史的建造物
○ 七徳堂 東京都歴史的建造物
○ その他
○ 赤門倉庫のエントランスポーチと階段
文政10(1827)年、徳川第11代将軍家斉の第21女溶姫は、加賀藩第13代藩主前田斉泰に輿入れしました。
赤門はこの時建てられたものです。
赤門は耐震診断を行うため閉門、
番所は耐震性能が低いことが分かり柵内より内側は立ち入り禁止です(2021年2月12日〜)。
(掲示)
「赤門
文政10年(西暦1827年)加賀藩主前田斉泰にとついだ11代将軍徳川家斉の息女溶姫のために建てられた朱塗りの御守殿門であり、重要文化財に指定されています。」
「(狂句合)本郷」(広重)
「東都三十六景 本郷通り」(二代広重)
「赤門及び医科大学の一部」(東京帝国大学 小川一真 明治33年)
赤門右手後方に、現在は消失している[椿山」(駒込に遷座前の富士塚)が見えます。
「赤門を入れば椿の林かな」(正岡子規)
椿山は、経済学部新館建設工事のために昭和39(1964)年に取り壊されました。
(参考)「駒込富士神社」「富士浅間神社(本富士)」
正門は明治45(1912))年の設営です。
最上部の冠木には瑞雲の間から登る旭日が描かれ、扉には青海波と縦格子、唐草模様などがあしらわれています。
オリジナルの大扉と冠木は、昭和63(1988)年にアルミ合金製レプリカに入れ替えられ、駒場に保存されています。
平成23(2011)年に文京区のふるさと景観賞を受賞しています。
掲示板がレンガ造りというのは歴史の重みを感じます。
「2011 文の京都市景観賞
ふるさと景観賞
東大銀杏並木と安田講堂」
<工学部列品館> 大正14(1925)年築 国登録有形文化財
<法3号館> 昭和2(1927)年築 国登録有形文化財
<法文2号館> 昭和3(1928)年築 国登録有形文化財
<法文1号館> 昭和10(1935)年築 国登録有形文化財
安田善次郎の寄付によって、大正14(1925)年に竣工しました。
安田講堂と三四郎池の間の道路沿いに「濱尾新先生像」があります。
濱尾新は、第3代及び第8代の東大総長です。
大きな坐像で、台座には階段がついており上がることができます。
「濱尾新先生像」
(銘文)
「濱尾新 ハマオアラタ 1849〜1925
明治・大正期の教育行政家。但馬国豊岡藩士の子として江戸藩邸で生まれる。慶応義塾、大学南校に学ぶ。1873年アメリカに留学し、翌年帰国して東京開成学校長心得になり、以後同校長補、東京大学法理文三学部綜理補として東京大学創設初期に尽力する。1887年ケンブリッジ大学より栄誉学位を受け帰国し、文部省専門学務局長となる。農商務省の東京農林学校を廃止して、帝国大学評議会と調整をはかり、農科大学設置に尽力する。1893年文相井上毅の懇請によって、第3代帝国大学総長となる。講座制を帝国大学に導入し、大学教授会自治の礎を築いた。1887年、約2ヶ月間ながら松方内閣の文部大臣を務める。女子教育の奨励などを唱えた。1905年第8代東京帝国大学総長となる。総長在任は合計で11年間に及び、帝大総長を象徴する存在となった。土木総長とも称され、大学キャンパスの整備、とくに大学のシンボルとなる銀杏並木の植林を推進したとされる。1933年、遺功をたたえる濱尾像が建立された。」
「濱尾新 前総長」(東京帝国大学 小川一真 明治33年)
工学部1号館は、昭和10(1935)年の建築です。
大正15(1926)年1月の竣工です。
昭和13(1938)年の竣工です。
関東大震災で煉瓦造りの図書館が焼失したため、ジョン・ロックフェラー・ジュニア氏からの400万円の寄付によって建設されました。
昭和3(1928)年12月1日に竣工式を迎えています。
東面は情報学環・学際情報学府、西面は史料編纂所となっています。
○コミュニケーションセンター
赤門脇にあります。旧附属図書館製本所で、明治43(1910)年築で、本郷キャンパス最古の建物です。
○龍岡門
龍岡門は、昭和8(1933)年の建造です。
○育徳堂(弓道場)
育徳堂(弓道場)は、昭和10(1935)年の竣工です。
○御殿下記念館 外壁
御殿下記念館の外壁は、昭和12(1937)年の築です。
○東洋文化研究所
東洋文化研究所の入口に唐獅子像があります。
○本部棟
丹下健三による設計。地上12階建、昭和54(1979)年に完成しています。
(説明板)
「赤門倉庫のエントランスポーチと階段
このパーゴラは、元は赤門倉庫のエントランスポーチでした。鉄骨をリベット接合によって組み合わせ、波型の鉄板による屋根が貼られていました。ベンチはその正面入口階段であり、石材を組み合わせて造られています。ともに赤門倉庫の改修に伴い、この地に移築されました。
赤門倉庫は、東京帝国大学文科大学史料編纂掛(現在の史料編纂所)の書庫として大正5年(1916)に建てられました。当時、史料編纂掛の本庁舎(現在の総合研究博物館小石川分館)とは渡り廊下で結ばれており、一階奥の防火扉を供えた保管庫には、とりわけ貴重な史料が収蔵されていました。
ポーチ正面トラス梁の右部分に山形に開けられた穴は、渡り廊下の屋根の接続部分の痕跡です。ポーチは手前の二本の柱と書庫の煉瓦壁によって支持されていました。このたびの移設にあたって、煉瓦壁の代わりとなる鉄骨造の門型フレームを新設し、パーゴラとなったポーチを支えています。柱の足元には、曲線を用いた鋳鉄製の柱礎があり、意匠上の特徴となっています。」