情報量の多い公園(品川宿本陣跡)です。
<道標「品川宿本陣跡」> 品川区北品川2-7-22
旧東海道の入口にある道標です。
(正面)「八番 品川宿本陣跡」
(左面)「左 歩行新宿」
(右面)「右後 北番場を経て新馬場駅北口」
左手に本陣の建物の説明と、明治天皇の行在所の説明が掲示しています。
品川宿本陣が明治天皇の行在所となったのは、東幸、還幸、再東幸の際の計3回とのこと。
「遷都鳳輦品川通御之図 歌川芳盛(伝)品川歴史館蔵」
(説明板)
「品川宿本陣跡(聖蹟公園)
江戸時代の本陣は、宿場で大名や旗本・門跡・公家などが休息や宿泊するところで、品川宿には初め南品川宿と北品川宿に一軒ずつありましたが、
江戸中期には北品川宿のみとなりました。
大名などが宿泊すると本陣には大名の名を記した関札をたて、紋の入った幕をめぐらしました。
明治維新後、京都から江戸へ向かった明治天皇の宿舎(行在所)にもなったところです。」
<土山宿の街道松>
公園入口には、土山宿から贈られた街道松があります。
<公園入口門柱>
右の門柱に「品川区立聖蹟公園」とあります。
<しながわ百景>
「しながわ百景
区政40周年・区民憲章制定5周年記念 昭和62年選定
6 聖蹟公園(本陣跡)
平成29年 品川区」
<本陣の復元井戸と園内>
<東海道品川宿本陣跡>
(説明板)
「品川区指定史跡
東海道品川宿本陣跡
所在 北品川二丁目七番二十一号 聖蹟公園
指定 昭和五十三年十一月二十二日(史跡第七号)
品川宿は、江戸四宿の一つで、東海道五十三次の第一番目の宿駅として発達した。ここはその本陣跡であり、
品川三宿の中央に位置していた。東海道を行き来する参勤交代の諸大名や、公家・門跡などの宿泊・休息所として大いににぎわったところである。明治五年(一八七二)の宿駅制度廃止後は、警視庁病院などに利用された。
現在、跡地は公園となり、明治元年(一八六八)に明治天皇の行幸の際の行在所となったことに因み、聖蹟公園と命名されている。
平成十四年三月二十八日
品川区教育委員会」
<聖蹟公園の石碑案内>
(説明板)
「聖蹟公園の石碑案内
聖蹟公園由来の碑
昭和十三年(一九三八年)聖蹟公園として整備開園するに当たり、その由来を記して東京市が建てたものである。
灯籠
聖徳の碑
東京市品川聖蹟公園開設までの明治天皇品川聖蹟保存会の活動について記録した碑。
御聖蹟の碑
明治天皇の行在所になった品川宿本陣跡が昭和十三年(一九三八年)に東京市の公園となったのを機に設置された碑である。
旗台
石井鐵太郎氏胸像
常に住民の福祉増進と社会福祉の向上に尽し、昭和五十年に社会福祉功労を顕彰し名誉区民となった。
夜明けの像
昭和二十四年に二宮尊徳像が建立さられたが、昭和四十二年に石井鐵太郎によって、現在の子ども達が親しみやすい像ということで改めて新聞少年の像が贈られた。
品川区」
<開園碑>
「東京市
品川聖蹟公園
昭和十三年十一月開園」
<聖蹟公園由来の碑>
昭和13(1938)年に東京市によって建立。聖蹟公園由来が記されています。
<街頭ラヂオ塔>
見た目は石灯籠ですが、街頭ラヂオ塔(公衆用聴取施設)です。
東京で現存のラヂオ塔は、ここだけのようです。
「寄贈 日の丸奉仕團」
<景仰聖蹟の碑>
昭和13(1938)年11月15日建立。
聖蹟公園の開園までの明治天皇・品川聖蹟保存会の活動記録を記しています。
明治天皇の御聖徳を記念する碑です。
<御聖蹟>
昭和13(1938)年に東京市の公園となったのを機に設置された碑です。
<石井鐵太郎翁之像>
<夜明け>
<タイル絵>
「東都名所 御殿山花見品川全図 歌川広重<初代>
御殿山花見、品川宿、品川湊、右奥の海上には、海苔養殖のヒビが描かれています。
「東海道五十三次之内 品川日之出(保永堂版東海道) 歌川広重<初代>」
「品川宿本陣」