Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 隅田川河口(竹芝)

  ○ ウォーターズ竹芝前(竹芝地区船着場)
  ○ 汐留第二ポンプ所放流管
  ○ 汐留第二ポンプ所
  ○ 竹芝デッキ


ウォーターズ竹芝前(竹芝地区船着場) 港区海岸1-10-30

 令和2(2020)年6月に、水上バスの船着場が浜離宮からこちらに変更となっています。

<水上バス>

 ウォーターズ竹芝前(竹芝地区船着場)に、水上バスが停留していました。

   

 左から順に、「竜馬」「ヒミコ」「海舟」「リバータウン」です。

     


汐留第二ポンプ所放流管 港区海岸1-11-1

 6本の下水放流管には、クジラのしっぽをイメージした屋根が乗っています。
 下水処理場の処理能力を上回る雨が降るとポンプ所は稼働し、雨水・汚水を消毒して放流します。
 隣に見えるのは、汐留川水門です。その奥が浜離宮排水機場の排水施設です。
 ニューピア竹芝の「展望デッキ」から見えます。

    

 ポンプ所からの放流管は、水路の下、浜離宮排水機場の道路の下を通ってクジラのしっぽ屋根に至ります。

    


○汐留第二ポンプ所 港区海岸1-10-66

 海岸通りにある説明板です。

   

「特別名勝及び特別史跡「旧浜離宮庭園」と汐留第二ポンプ所について」

(説明板)
「特別名勝及び特別史跡「旧浜離宮庭園」と汐留第二ポンプ所について
一 特別名勝及び特別史跡「旧浜離宮庭園」
 この付近は江戸時代に初めまではアシやヨシが生い茂る海辺でした。ここ汐留第二ポンプ所に汐留川をはさんで隣接する都立浜離宮恩賜庭園の地区は江戸時代の初めに埋立てられ、寛文九年(一六六九)年、甲府宰相松平綱重の浜屋敷の庭園とし完成しました。綱重の子綱豊(後の六代将軍家宣)の代になると、庭園は将軍家別邸となり、幕末まで続きました。明治時代に至り、庭園は皇室の離宮となり、昭和二十年十一月東京都に下賜されたものです。
 この庭園は、江戸時代の大名庭園の特徴である、広々とした「池泉廻遊式」による築庭であり、また、立地を利用して、海水を引入れ、その干満の差による景観の変化を楽しむことができる「汐入り庭園」であります。今では、「汐入り庭園」としては、東京に唯一残る貴重な庭園です。
 石垣で築かれた外周部、周囲を取り囲む水面で構成された景観を後世に末永く保存するため、昭和二十三年十ニ月、「旧浜離宮庭園」とし国の名勝及び史跡に指定され、同二十七年十一月には国の特別名勝及び特別史跡に指定されました。
 この指定区域は庭園本体と周囲の水面からなり、その範囲は周囲の石垣の法尻から、海上に向かって五十間(約九十m余)、その他の三面について、同じく石垣の法尻から、河川に向かって十間(約十八mm余)が定められております。
二 汐留第二ポンプ所
 ここ汐留第二ポンプ所は、都市化の進展に伴う下水量の増大に対処するため、昭和五十七年七月から平成十ニ年三月まで十八年を費やし建設されました。
 本ポンプ所の機能は、港・中央・千代田・新宿4区の一部地域から集められた下水を「芝浦水処理場」に送るとともに、降雨時には、従来、旧浜離宮庭園に隣接する汐留川に排水されていた雨水を東京湾に排水することです。このポンプ所の完成により、庭園周囲の水面の浄化に貢献しています。
 ポンプ所の建設にあたっては、隣接する旧浜離宮庭園(文化財庭園)の保存意義を尊重し、指定区域を避けた汐留川の一部埋立てによる用地の確保や、外観意匠などに配慮した建物としたほか、施工時は、庭園への影響が生じないよう、低騒音、低振動工法を採用するなどの配慮を行いました。
  平成十二年三月 東京都下水道局 東京都建設局公園緑地部」

    

「快適な生活をささえる下水道 汐留第二ポンプ所」
 ・ポンプ所立面図 ・汐留第二ポンプ所流域図

    

 ・アースくん(東京都下水道局マスコットキャラクター)

   

<浜離宮南縁を流れる汐留川>

 汐留川の左手が浜離宮南縁、右手が汐留第二ポンプ所です。

    


竹芝デッキ 港区海岸1-11-1

 ニューピア竹芝ノースタワーに隣接する展望デッキです。

   

 展望デッキから隅田川河口部と築地大橋方面/隅田川河口部からレインボーブリッジ方面

   


戻る