文治5(1189)年、源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。
(説明板)
「田端八幡神社
北区田端二ー七ー二
この八幡神社は、田端村の鎮守として崇拝された神社で、品陀和気命(応神天皇)を祭神としています。神社の伝承によれば、文治五年(一一八九)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたものとされています。別当寺は東覚寺でした。
現在東覚寺の不動前に立っている一対の仁王像(赤紙仁王)は、明治元年(一八六七)の神仏分離令の発令によって現在地へ移されるまでは、この神社の参道入り口に立っていました。江戸時代には門が閉ざされていて、参詣者が本殿前まで進んで参詣することはできなかったらしく、仁王像のところから参詣するのが通例だったようです。
参道の中程、一の鳥居の手前には石橋が埋められています。これは昭和初期の改修工事によって暗渠となった谷田川に架かっていたもので、記念保存のためにここへ移されました。
社殿は何度も火災等に遭い、焼失と債権を繰り返しましたが、平成四年(一九九二)に氏子たちの協力のもとで再建され、翌年五月に遷座祭がおこなわれて現在の形になりました。境内には、稲荷社のほかに田端富士三峯講が奉祀する富士浅間社と三峰社があり、富士浅間社では毎年二月二十日に「富士講初拝み」として祭事が行われています。
平成九年三月 東京都北区教育委員会」
<参道>
<一の鳥居/石橋>
一の鳥居の手前の石橋は、昭和初期に暗渠となった谷田川に架かっていたものです。
<二の鳥居/田端八幡神社誌/石階参道>
<手水鉢/不動明王>
<狛犬>
<社殿/本殿>
社殿は平成4(1992)年の再建です。
参道から分かれて右手に田端富士への石階。
石階途中の右手に三猿が刻まれた台石が置いてあります。
<三峯神社>
現在も講は活動されているようです。
「平成拾四年弐月吉日之を建立す
田端富士三峰講
講員一同」
<稲荷神社>
<浅間神社>