○ 駒形橋〜吾妻橋
○ 竹町の渡し
○ 吾妻橋
○ 吾妻橋〜すみだリバーウォーク
○ すみだリバーウォーク ※別頁
○ 山の宿の渡し跡 ※別頁
駒形橋を振り返り、すぐ先に見える吾妻橋へ歩きます。
<隅田川テラス案内図>
「吾妻橋」「雷門 大提灯」の説明があります。
<吾妻橋>
(碑文)
「吾妻(あずま)の名は、古来、東国・関東地方を総称するアスマの語に由来している。また、本所の吾妻神社にもゆかりをもっている。
もとは“竹町の渡し”のあったところが、安永三年(一七七四年)に住民によって有料の橋がかけられ、大川橋と呼ばれたが、のちに吾妻橋と通称された。
明治九年(一八七六年)には、吾妻橋を正式の名称として、木橋がかけられたが、明治十八年(一八八五年)夏には洪水で
流失した。その後、明治二十年(一八八七年)に鉄製のトラス橋として完成した。
しかし、関東大震災(一九二三年)には橋床の木造部分が焼け、鉄骨の部分のみ残った。現在の橋は、昭和六年(一九三一年)にかけかえられた。
浅草観音、ビール会社、六区などは、古い都鳥の伝承とともに、この辺りの風物詩として、
文芸の題材などに生かされてきた。
昭和五十八年三月 東京都」
{江戸名所図会より」(隅田川両岸挿絵)
「江戸名所図会 大川橋 吾妻橋とも名つく 隅田川両岸」
石碑には、江戸名所図会の挿絵がプレートとしてはめられています。
「絵本江戸土産 宮戸川吾妻橋」(広重)
吾妻橋西からの光景です。向岸に「源森橋」(現:枕橋)が見えます。
現在は、この場所からは水門だけ見えます。
枕橋はスカイツリーの夜景スポットとして有名です。
「名所江戸百景 吾妻橋金竜山遠望」(広重)
桜吹雪が舞っています。右方向に流れていますが、帆の向きとは反対です。
簾を上げている屋根舟です。
隅田川下流の吾妻橋、富士山、浅草寺が見えます。
「絵本隅田川両岸一覧」(北斎)
葛飾北斎「絵本隅田川両岸一覧」から「大川橋」部分を抜粋して繋げています。
隅田川右岸から吾妻橋を描いています。
「江戸名所百人美女 大川橋里俗吾妻はし」(豊国・国久)
夜鷹と横にいるのは牛(客引き、用心棒)です。牛は左手に「吉田」と書かれた傘をもっています。
夜鷹は石原橋奥の本所吉田町の裏長屋に住み、隅田川を越えて商売をしていました。
「吾妻橋」(井上探景(井上安治) 明治21年)
出版が明治21年で、明治20(1887)年に鉄製のトラス橋として完成した当時に描かれています。
「東都隅田川両岸一覧」(鶴岡)
竹町の渡し部分の抜粋です。竹町の渡しは、吾妻橋の下流に描かれています。
西岸では、材木が並ぶ材木町へ、渡し船が着岸しようとしています。
東岸では、渡し船が竹町の石階のある船着き場に向かっています。
「江戸切絵図」
江戸切絵図で確認すると、吾妻橋の下流と駒形堂の上流の間に「竹町之渡」と記されています。
吾妻橋をトンネルの通路でくぐります。
「通路の通行(開放)時間 6時〜21時」
(下流側)
(上流側)
<河口より7.0km 隅田川右岸>
<隅田川(吾妻橋上流)右岸修景>
「2010年9月
隅田川(吾妻橋上流)右岸修景工事
延長121.1m→
東京都
清水建設株式会社 施行」
<水生植物植栽>
水生植物の植栽が続いていました。
<隅田殻テラス案内図>
「吾妻橋」「船祭(三社)」の説明があります。