Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 巣鴨(中山道)

  ○ とげぬき地蔵尊(高岩寺)
  ○ 延命地蔵堂


とげぬき地蔵尊(萬頂山高岩寺) 豊島区巣鴨3-35-2

     

<とげぬき地蔵尊 高岩寺誌>

  

<弥陀三尊庚申板碑>

 大永8(1528)年銘の庚申板碑ですが、ガラス窓越しから見るので光の反射でよくわかりませんでした。

   

<小僧稲荷神社/地蔵群>

 寺が下谷にあった時、和尚が寵愛した狸が妖怪となって現れるようになり、そのタヌキを祀っています。
 小僧稲荷神社の右横には多くの地蔵像が納められています。

  

<洗い観音>

   

<天水桶>

 「製作人 川口市 山崎甚五兵衛」作の天水桶です(昭和33年)。

    

<本堂>

  


延命地蔵堂 豊島区西巣鴨2-33-9

 庚申塚通り(旧中仙道)に標石「延命地蔵尊」があり、ちょと入ったところに延命地蔵堂があります。
 堂前に「豊島区登録有形民俗文化財 延命地蔵堂の石造物群」の掲示があります。

   

<由緒>

(碑文)
「由緒
当延命地蔵尊は今から約百七十年前(文政年間)建之され当所に移築されましたのは今から約八十年前の事であります。当時は江戸五街道の一つである仲仙道を通行する
多くの旅人が此所で必ず一休みされ更に永い旅路の為つかれはてて、当地で死亡した人馬の霊を供養する為に建之されたものです。以後毎年八月廿四日を命日とし全人類の平
和と幸福を願ひ供養して居ります。」

  

 境内に5つの石塔があります。

 (中央)「延命地蔵尊」

    

 (左) 「庚申像塔」と「馬頭観音塔」

   

 (右) 「徳本名号塔」と「南無妙法蓮華経」題目塔

   

(説明板)
「延命地蔵堂の石造物群
 江戸時代の中山道巣鴨庚申塚付近には、巣鴨町近辺で行き倒れた人馬の共同墓地があった。その墓標として延命地蔵が建立された。以来、さまざまな供養塔が集まった。
 かつてこれらの像は、現在の都電庚申塚駅の場所にあったが、明治四十四年(一九一一)、王子電気軌道(現都電荒川線)の停車場建設により移転された。その後、現位置に再移動し、大正期に参道と堂が整備された。
 昭和二十年(一九四五)四月十三日の空襲により、延命地蔵堂のすべての石造物が大きな被害をうけた。終戦後、土地の守り地蔵尊として信仰されている延命地蔵を再興するため、同三五年に地元住民による奉賛会が発足し、毎年八月二十四日に法要が行われている。平成二十四年(二○一二)十一月、地域の民間信仰を示すものとしての重要性が評価され、豊島区登録有形民俗文化財となった。

 徳本名号塔(文政十一年再建)
  徳本は諸国を巡錫して各地に徳本念仏と呼ばれる念仏講を創成した僧である。独特な筆跡に
  よる名号と、徳本銘・花押が四面に刻まれている。
 題目塔
  中央に「南無妙法蓮華経」、その左右に「大摩利支尊天」「北辰妙見大菩薩」を配置する三尊
  形式をとっている。塔の正面に「加越能佳人」「為道中安全」とあることから、北陸と江戸を
  結ぶ街道として中山道を往来した者が建立したのであろう。
 延命地蔵塔
  延命地蔵堂の中心となる地蔵尊である。角柱型の安山岩に、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ
  半跏座像の地蔵が浮彫されている。現在は傷みが激しく、建立年代等を知ることはできないが、
  地蔵堂の形式などから、江戸時代初期のものであろうと推定される。
 地蔵像庚申塔
  この庚申塔については、かっては上部に日月があり、中央に地蔵菩薩立像、その下に三猿が
  描かれていたという明治期の記録がある。それによると、地蔵像の右に「是より小石川
  おたんす町之ミち」、左に「元禄拾一年戌寅四月十六日 諸願成就」の銘があった。
 馬頭観音塔
  台座前面の銘は一部欠損しているが、もとは「馬頭観世音」とあったとみられる。側面には
  「巣鴨」「願主 馬口 藤三郎」とあり、巣鴨の住民が建立したものである。
  平成二十六年三月  豊島区教育委員会」

  


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