Discover 江戸旧蹟を歩く

 ○ 新島原遊郭
 ○ 躍金楼



新島原遊郭 現:中央区新富一丁目〜銀座一丁目

 築地居留地が設けらるのに伴い、外国人の利用を当て込んで設けられたのが「新島原遊郭」です。
 1871(明治4)年7月に廃止され、新吉原に移転しました。
 「東京築地鉄炮洲景」(歌川国輝 明治2(1869)年)から、左手に描かれている「新島原遊郭」部分の抜粋です。
 遊郭の西から東を見た光景です。四方を塀で囲み、中央の大通りは「仲ノ町」と名付けられています。

  

  
 

<仲之町通りと大門>

 仲之町通りと大門の部分の抜粋です。
 大門は西と東の両方に描かれています。

  
 

「東京新嶋原勝景」(歌川国輝 明治2(1869)年)

 新嶋原遊郭を細かく描写した10枚続の錦絵です(10枚を連結しました)。
 左手奥に富士山が描かれているので、遊郭を東から西に見た光景です。

   
 

<仲之町通りと大門>

 仲之町通りの抜粋です。仲之町通りには桜が満開です。
 新吉原と同じく、植桜でしょうね。
 大門は東と西の両方に描かれています。

    
 

「新島原晩華楼遊女揃」(歌川国貞 明治2年)

 「晩華楼」を描いています。堀の上に建っているようです。

  
 

 「東京新嶋原勝景」で確認すると、「晩花楼」が遊郭の南東端の堀際にあります。

   
 

<仲之町通り>

 通りの名前や痕跡など残っていません。
 新島原遊郭が廃止されて2年後に創業の躍金楼が往時の花柳界をしのばせます。
 画像は入船二丁目交差点〜新富町郵便局交差点。

     



躍金楼 中央区新富1-10-4 HP
 
 明治4(1871)年7月に新島原遊郭が廃止され、その跡に花柳界が発展しました。
 躍金楼(てっきんろう)は 明治6(1873)年の創業で、名付け親は、山岡鉄舟です。建物は、国の登録有形文化財となっています。

     

   

    
 

「開化三十六会席 新富町躍金楼」(豊原国周 明治11(1878)年 東京都立図書館蔵)

 開化三十六会席に躍金楼も選ばれています。

  
 

<ランチ>

 コロナ対応で、ランチは週2日のみの営業に縮小されています。
 営業する日は曜日は固定しておらず、HPに案内もないので、ハードル高いです。
 2回目の訪問で、天丼膳(1100円)を食べました。

    
 

<新富商栄会>

  


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