将軍鷹狩の時には勝曼寺は御膳所として利用されました。
山門から本堂への参道の両脇に松が植わっていますが、
かつては山門までにも松並木参道が続いていました。
(説明板)
「勝曼寺
勝曼寺は真言宗豊山派で、九品山山王院と号します。約四百年ほど前、奥州相馬庄大勝寺の住僧善誉房専芸和尚がこの地に来住し、薮崎隼人、山崎甚太郎らの協力を得て、この寺を建てたといわれています。
元禄の頃(一六八八?一七○四)秀翁和尚によって中興され、将軍鷹狩りのときに何度か御膳所にあてられました。
■木造阿弥陀如来立像
昭和五十七年(一九八二)二月登録
区登録有形文化財・彫刻
信徒達が、勝曼寺を開いた専芸和尚の菩提を弔うために寄進したと、胎内文書にあります。像高約三五センチ、寄木造りですが、顔と胸部は一材から彫りだされています。江戸時代初期の作と推定されます。
平成十四年十二月 江戸川区教育委員会」
「葛西筋御場絵図 江戸御場絵図」(文化2(1805)年 国立公文書館蔵)
「江戸御場絵図」は、幕府の御鷹場の地図で、6つの鷹場(葛西筋・岩淵筋・戸田筋・中野筋・六郷筋)が記載されています。
「葛西筋御場絵図」に、「新堀」「御膳所」「勝曼寺」の記載が見えます。
参道右手に二基の宝篋印塔が建っています。
手前の宝篋印塔は延享4(1747)年3月の建立です。
奥の宝篋印塔は、珍しい宝篋印塔型の出羽三山等供養塔となっています。
昭和59(1984)年に改修されており、台座の一部が新しくなっています。
「羽黒山 月山 湯殿山 供養塔
天下泰平 家内安全 諸願成就
四國 西國 秩父 坂東 奉順拝百八十八ヶ所」
明治9(1876)年3月の建立です。
明治時代の建碑なので、出羽三山は羽黒山が先頭に刻まれています。
<修行大師像>
二基の宝篋印塔の間にある「修行大師像」です。
<庚申塔等>
石仏が五基並んでいます。
左から「弥陀如来像」「地蔵尊像」「庚申塔」「聖観音像 寛文9(1669)年」「庚申塔 元禄10(1697)年」と並んでいます。
<地蔵堂>
三基の地蔵像のうち、右にとろけ地蔵が座しています。
<手水舎>
「この水飲めません」とあるので、地下水でしょう。析出物で白くなっています。
<水子地蔵尊>
<本堂>