称名山慈雲院西光寺と号します。
<几号水準点>
「南無阿弥陀佛」の石碑の「渡陸尺」と刻まれた台座の左側に「几号水準点」があります。
「江戸名所図会 鷺森神明 西光寺 氷川明神」
古川に架かる「相模殿橋」を渡り南へ進むと「鷺森神明」「西光寺」「氷川明神」とあります。
<几号水準点> 港区白金台1-1
桜田通りに面して「清正公大神儀」の石碑があります。
几号水準点が電話ボックス側の台座にあります。
「鎮守 清正公大神儀
南無妙法蓮華経
寛延四辛未歳六月廿一日 最正寺 日要」
<覚林寺>
加藤清正公が祀られています。
(説明板)
「港区指定有形文化財
建造物 清正公堂及び山門
覚林寺は弘化二年(一八四五)の大火で全焼し、山門は安政三年(一八五六)、清正公堂は慶応元年(一八六五)に再建されたものです。
清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間口一間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられますが、伝統的な意匠をもちます。山門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門であり、両側に脇戸が付きます。斗に皿斗が付くほかは装飾的要素の少ない簡素な門です。
清正公堂は本殿部分を土蔵造とする権現造で、近世の建物構成を継承しています。拝殿・幣殿は本格的な禅宗様形式を採用し、本殿も伝統的な意匠を引き継いでおり、近世以来の技術を伝えるものとして高く評価されます。また山門は現在の境内おいて最古の建築であり、同時期の建設になる清正公堂とともに、近世以来の境内の構成を伝えている貴重な建造物です。
平成十九年十月二十三日指定 港区教育委員会」
<山門> 港区文化財
<百度石/無縁塚>
<毘沙門堂・稲荷堂>
<本堂>
<清正公堂> 港区文化財
扁額の「破魔軍」は、有栖川宮熾仁親王の書。
南青山七丁目の民家先にある几号水準点です。
撤去されずに残っていることに感心します。