<銀世界>
新宿パークタワーの建つこの場所は、かつて梅の名所だった「銀世界」です。
「銀世界」の隣は館林藩秋元家の角筈抱屋敷でした。
田山花袋の義兄が屋敷守をしていていた縁で、この屋敷を頻繁に訪れています
作品『時は過ぎ行く』に、銀世界の様子が描かれています。
「梅が白く垣根に咲く時分には、近くにある名高い郊外の梅園に大勢東京から人が訪ねて来た。瓢箪などを持って来て、日當たりの好い芝生で、酒を酌んだりなどする人達もあった。梅の多い奥の邸に、間違へて入つて来て、『や、ここは銀世界ぢやないのか。それでも梅が沢山あるぢやないか』などと言つて、門の中から引き返して行くものなどもあつた。」
明治43(1910)年に東京瓦斯が淀橋供給所(角筈ガスタンク)を開設し、梅林は明治41(1908)年〜42(1909)年頃に芝公園に移植されました。
現在の芝公園の銀世界はこちらで記載。
「絵本江戸土産 四谷新町」(歌川広重)
広重が銀世界を描いています。
挿絵に「四谷新町に梅園あり 如月の比盛りにいたれば只ひと面に白銀の花の咲るが如くなれハ世俗銀世界とハ言ふ」とあります。
<銀世界稲荷神社>
52階の新宿パークタワーの一画に銀世界稲荷神社はあります。
社号標「銀世界稲荷神社」
扁額「正一位銀世界稲荷大明神」 プラスチックケースに納めらられている扁額は初めて見ました。
(碑文)
「銀世界稲荷の由来
この辺り一帯は江戸時代某大名の下屋敷で庭は銀世界と呼ばれる梅林で梅の名所でした
春初め 辺り一面に銀世界の様に咲く梅は実に見事で銀世界の名称がそのまま稲荷神社につけられました
平成六年四月」
<手水鉢(洗心)>
<神狐>
平成6年4月、東京ガス都市開発株式会社による奉納です。
ロボティックな神狐です。
東京ガスは地域に密着して地元の寺社への奉納が多々見られます。
銀世界稲荷が残されたのもその精神が生かされているのでしょう。
<社殿>
石祠の社殿です。社殿から参道を振り返ったところです。