○ 写真工業発祥の地
○ 旧淀橋浄水場六角堂
○ 久遠の像 別頁
国産初のカラーフィルムを作った小西六写真工業(現コニカミノルタ)が、
明治35(1902)年から昭和38(1963)年まで操業した工場の跡地です。
小西六写真工業は、明治35年5月に淀橋町に移転し、「六桜社」と改称しています。
玉川上水助水堀から良質な水を得られる当地に移転したのは、写真感光材料の国産化を目指してのことでした。
新宿区地域文化財第3号に認定されています。
(プレート)
「地域文化財
第3号
六桜社跡
明治35年〜昭和38年の間操業していた、
六桜社(現コニカミノルタ)の写真感光材
製造工場の跡である。 新宿区」
(標柱)
「写真工業発祥の地
この地は、 明治三十五年五月、小西本店(現・コニカミノルタ)が,
写真感光材料の国産化を図り、 研究所と工場(六桜社)を建設し、製造を始めたところである。同社は、さらにカメラの製造も始め、写真フィルムの国産化にも成功した。その後、昭和三十八年、新宿副都心建設事業により、八王子・日野へ移転した。今日わが国は、世界の写真王国となっているが、その礎は、この地で築かれたものである。
昭和五十八年五月一日 新宿区設置」
<新宿中央公園 ご案内>
案内板にも「写真工業発祥地記念碑」と記されています。
六角堂は、旧淀橋浄水場の洋風四阿で、富士見台と呼ばれる築山上にあります。
富士見台は沈澄池増設工事に際して出た残土を利用して造られました。
六角堂の通路の飛び石は、浄水池の壁に使われていた明治30年頃の古いレンガが再利用されています。
新宿区地域文化財に認定されています。
(説明板)
「旧淀橋浄水場六角堂 新宿区立新宿中央公園
六角堂は、旧淀橋浄水場の洋風四阿で、階段を上がった先にある富士見台と呼ばれる築山上にあります。建てられた時期は、明治39年から昭和2年の間と考えられています。公園整備の際に、当時の地盤をそのまま残し、浄水場時代の記念物として保存しました。今では、浄水場があった当時の施設等はほとんど無くなり、この六角堂は現存する貴重な施設であることから、平成25年3月に新宿区の「地域文化財」に認定されました。
(※地域文化財・・・地域の身近な文化財や近現代の文化財を対象としたもので平成23年4月から始まった新たな文化財制度です。)
六角堂の足元にはレンガを用いた飛び石があります。これは淀橋浄水場に使われていたレンガを再利用したものです。
当時淀橋浄水場を訪れた見学者は、ここから眺めながら説明を受けたり、休憩していました。
浄水場から副都心へ
東京の多くの家庭にきれいな水を提供し続けた淀橋浄水場は新宿副都心計画の中で移転が決まり、昭和40年、60年以上にわたる歴史に幕を閉じました。跡地には現在、新宿中央公園や日本屈指の高層ビル群が立ち並んでいます。」
(碑文)
「富士見台
この丘は公園の最高所(標高 東京湾中等潮位+45米)で はるか西空に秀嶺富士を仰ぐ展望台である
なお ここにある六角堂は淀橋浄水場時代のものを補修してそのまま残した
また通路の飛び石は浄水池の壁に使われていた明治30年頃の古い煉瓦である」
○淀橋浄水場(東京都水道歴史館掲示)