平将門を討った藤原秀郷によって、天慶3(940)年に創建されたといいます。
享徳4(1455)年に、古河公方足利成氏が当社に戦勝祈願し、祈願状は港区指定文化財となっています(非公開)。
太田道灌が長禄元(1457)年、江戸城築城の際に方除け守護神として江戸周辺に祀った「方除け七稲荷(道灌七稲荷)」の一つです。
「江戸名所図会 烏森稲荷社」
江戸名所図会に描かれている烏森神社です。
「新形三十六怪撰 藤原秀郷竜宮城蜈蚣を射るの図」(芳年 国立国会図書館蔵)
藤原秀郷(俵藤太)が、龍宮の姫をかばいながら、龍神の敵である近江三上山の百足退治をしているところを絵にしています。
「大日本名将鑑」「田原藤太秀郷」(月岡芳年 東京都立図書館蔵)
藤原秀郷は平将門を訪れ、将門の挙動が粗忽で将師の器ではないと認め討つ決意を固めました。
平将門追討の功により、武蔵・下総の両国の守護職に命ぜられました。
藤原秀郷に討たれた平将門を祀っているのが神田神社(神田明神)です。
「江戸の花名勝会 か 八番組 尾上菊五郎/神田明神の祭/神田>(豊国,貞秀,芳虎 国立国会図書館蔵)からの抜粋です。
神田明神社と、その祭神に祀られている平将門の首が飛んで石をかりかりかんだ図柄です。
左上に「将門の亡念打来て首が飛んで石をかりかり神田」とあります。
「江戸切絵図」
「烏森稲荷」と「日比谷イナリ」が見えます。
【烏森神社参道】
<烏森神社縁起>
(掲示)
「烏森神社
御祭神 倉稲魂命 天鈿女命、瓊々杵尊
平安時代天慶三年(九四○年)平将門が乱を起こしたとき、むかで退治の説話で有名な鎮守将軍藤原秀郷が武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ白狐がやってきて白羽の矢を与えた。その矢を持って速やかに東夷を鎮めることが出来たので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢にまた白狐が現われて、神鳥の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まで来たところ、夢想の如く烏が群がっていたのでそこに社頭を造営したのが当社の起こりである。」
<一之鳥居>
<ニ之鳥居>
「平成五(1993)年九月建之」の社殿をかたどった鳥居です。
<授与品>
<手水鉢>
独特の手水鉢です。烏森神社の縁起が石板に刻まれています。
(石板文)
「烏森神社縁起
御祭神 倉稲魂命 天鈿女命、瓊々杵尊
平安時代天慶三年(約一千年前)に平将門が東國で叛乱を起こしたとき 征討将軍藤原秀郷が当社に戦勝を祈願したとも このとき勧請したとも伝えられている。室町時代の享徳四年(約五百年前)には室町幕府の関東管領で古河公方と云われた足利成氏は 当社に戦勝祈願した その祈願状は今日も当社に宝物として伝えられている
江戸時代は稲荷信仰により祭礼もニ月初午の日に執行せられ 稲荷祭としてその賑わいは 江戸で一二を争うものであった
明治以降は五月四五六日を祭日とし 夏祭りのはしりとしてその名をうたわれている。
当社殿は 伸びゆく新橋の地にふさわしい近代建築美の中に 神社本来の伝統を加味し昭和四十六年十ニ月 氏子の熱意により竣工をみたものである。
昭和四十六年十二月 宮司 山田将夫」
<狛犬>
左は子踏みの狛犬です。
<きやり塚>
左の狛犬の前に「きやり塚」があります。
<力石>
左の狛犬の前に力石
「五拾貫余 汐留兵吉 車屋英治 芝土橋久太郎」とあります。
<社殿>
昭和46(1971)年に造営された社殿です。
<社殿から参道>
「烏森神社」(東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖第二輯 東京市公園課 大正12年)
関東大震災で焼失する前の社殿です。
<裏参道>
裏参道から入ると、授与所の脇に出ます。
古くは現在の日比谷公園に鎮座しており、社号に「日比谷」の名を残します。
長禄元(1457)年に太田道灌が江戸城を築いた際、日比谷の海岸(現日比谷公園内)に建立したのがこの日比谷稲荷のはじまりといわれています。
慶長11(1606)年江戸城増築にあたり芝口に遷座以来、江戸名所の一つとして隆盛しました。
関東大震災後の昭和3(1928)に現在の新橋4丁目に遷座、環状2号線の工事に伴い平成21(2009)年7月に現在地(東新橋2丁目)に遷座しています。
「江戸名所図会 日比谷稲荷社」
江戸名所図会に描かれている「日比谷稲荷社」です。
「江戸切絵図」
「江戸切絵図芝愛宕下絵図」からの抜粋です。
「烏森稲荷」「日比谷イナリ」が見えます。
「日比谷イナリ」の前の通りは、「日カゲ丁通りト云」とあります。
「江戸の花大錦名勝絵 日比谷稲荷初午/芝口」(歌川豊国)
左上に「日比谷稲荷初午」とあります。
「江戸名所百人美女 新はし」(豊国・国久)
「金春芸者」が描かれています。左端に少し見えているのが、日比谷稲荷社の玉垣です。
<社号標/鳥居>
平成21(2009)年に当地へ遷座し社殿が造営されています。
<手水鉢>
昭和34(1959)年の手水鉢です。
赤石?と昭和4(1929)年1月の石標柱が並んでいます。
<稲荷社>
<拝殿/本殿>
<社務所>
<奉納額など>
社殿の左横に、昭和61(1986)年5月の奉納額が掲げられています。
拝殿の脇障子は、刀鍛冶の木彫り彫刻です。
扁額「日比谷稲荷」が置かれています。