清水門橋(土橋)の手前の植栽内に標柱「清水門」が建っています。
(標柱)
「清水門
国指定重要文化財 一九六一年(昭和三十六年)六月七日指定
門の名については、かつて清水が湧き出ていたからという説と、このあたりに清水寺があったからという説があります。最初の建築年代は不明ですが、一六二四年(寛永元年)、安芸広島藩(現在の広島県)藩主浅野長晟により修築され、一六五七年(明暦三年)の火事で類焼したと考えられます。
徳川御三卿の清水家の名前は、この門内に屋敷地を与えられたことに由来します。」
<清水門橋>
清水門橋(土橋) 清水高麗門・清水門橋・清水濠 清水濠と清水門橋
清水門橋上から牛ヶ淵と蓮
清水門橋上から清水濠 牛ヶ淵より清水濠のほうが水位が低くなっています。
<清水高麗門>
<清水門櫓渡>
石垣石には、刻印が多く見られます。画像は、黒田家家紋「裏銭紋」の刻印の例です。
(説明板)
「重要文化財 旧江戸城清水門 昭和36年6月7日指定
江戸城は、長禄元年(1457)に太田資長(道灌)によって創られたとされる。天正18年(1590)徳川家康の居城となり、文禄元年(1592)から大規模な改修が実施され、慶長12年(1607)に天守閣が、寛永13年(1636)に総構が完成し、大城郭としての形が整えられた。その後、明暦3年(1657)をはじめ、数度の大火に見舞われものの、城郭の規模は幕末までほぼ維持された。
清水門は、北の丸北東部に位置する枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。門の創建年代は明らかではないが、現存の門は高麗門の扉釣金具に残る刻銘から万治元年(1658)に建てられたものであると考えられている。しかし、櫓門の上部は、時期不明ながら撤去されていたものを昭和36〜41年度の修理で復旧整備したものである。清水門は、建立年代の判明する江戸城の遺構として高い価値を有しており、門から北の丸に至る石段とともに江戸時代の状況を色濃く残している。」
「清水見附」(江戸見附写真帖 国立国会図書館蔵)
<雁木坂(がんぎざか)>
雁木坂は、江戸城跡内で唯一、江戸時代のままの姿で残されています。
敵に侵入されても容易に階段を駆け上がれぬよう、わざと一段一段を高くしています。
「江戸切絵図」
竹橋御門〜清水濠〜清水御門〜牛ヶ淵〜田安御門の抜粋です。
清水門から北の丸公園に入ると植栽の中に「吉田茂銅像」が設置されています。
吉田茂生誕100年を記念して昭和53(1979)年に寄付が募られ、昭和56(1981)年に船越保武の作により建立されました。
(碑文)
「古来各國史上名相賢宰星羅照映スト雖モ昭和曠古ノ大戦ニ社稷傾覆生民塗炭ノ苦悩ニ方リ萬世ノ為ニ太平ヲ開クノ聖旨ヲ奉シ内外ノ輿望ヲ負ウテ剛明事ニ任シ慷慨敢言英邁洒落能ク人材ヲ舉用シ民心ヲ鼓舞シ以テ復興ノ大義ニ盡瘁セシコト公ノ如キハ實ニ稀代ノ偉勲ト謂フベシ後人相謀ツテ茲ニ厥ノ像ヲ建テ長ク高風ヲ仰カント欲ス亦善イ哉
昭和五十六年九月
船越保武 作
安岡正篤 文
桑原翠邦 書」
(説明板)
「吉田茂肖像」(近代日本人の肖像 国立国会図書館)
明治11(1878)年9月22日〜昭和42(1967)年10月20日