Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 洗足池

  ○ 妙福寺


○妙福寺 大田区南千束2-2-7

<山門>

 山門左手に、題目法塔があります。台座には「御松庵」とあります。
 山門右手に「立正大師袈裟懸松之霊蹟」碑があります。

    

<日蓮聖人袈裟掛けの松 由来>

(説明板)
「日蓮聖人袈裟掛けの松 由来
 弘安5年9月(1282年)日蓮聖人が身延山から常陸国(茨城県)に湯治に向かう途中、日蓮に帰依していた池上宗仲の館(池上本門寺)を訪れる前、千束池の畔で休息し傍らの松に袈裟を掛け池の水で足を洗ったと伝えられる。この言い伝えから、この松を袈裟掛けの松と称することとなり、また千束池を洗足池とも称されるようになったといわれる。
 天保期(1830〜1843年)の「嘉陵紀行」によれば、初代の袈裟掛けの松は「枝四面におおい長さ幹囲み三合がかり、高さ五丈あり」程あったと記されている。
 なお現在ある松は三代目であると伝えられる。
  御松庵  社団法人 洗足風致協会」

「袈裟掛けの松は、この紋をくぐり奥に行き左側です→」

  

<御袈裟懸松>

    

   

<第六代目 御袈裟懸松>

   

<石塔>

   

<無縁塔群と石燈籠>

   

<日蓮上人像>

 昭和54(1979)年10月建立。

 「日蓮上人銅像建立の由来
 牧野らくは 明治二十二年 千葉県東金市に生まれ 幼き頃より 孝心厚く 日蓮上人の偉大なる徳に感動し 太陽を崇め 先祖を尊び ニ○才頃より 霊感を授り修行する
 昭和十ニ年五月 身延山参拝の帰路 御松庵に立ち寄り 冠水し おみくじを引き 八年間誰人にも授からなかった大吉1番を戴き感激にうたれ 神通力の妙を会得し 難行にもめげず 御題目を唱え続け 万病に苦しむ人々を 救済して 信仰を広める
 七百年遠忌を目標として ここに 信者の皆様方の御協力を仰ぎ 九十一才にして 永年の念願を達成したものである
  昭和五十四年十月吉日  牧野一子」

   

<本堂> 国登録有形文化財

  

<馬頭観世音供養塔>

    

   

(説明板)
「大田区文化財 馬頭観世音供養塔
 天保十一年(一八四○)に、馬込村千束の馬医師や馬を飼っている人々によって、馬の健康と死馬の冥福を祈って建てられたものである。
 光背を付けた馬頭観世音像の下は、角柱型の道しるべを兼ねており、各面には「北 堀ノ内碑文谷道」「東 江戸中延」「南 池上大師道」「西 丸子稲毛」というように、東西南北のそれぞれの方向を示す地名が示されている。
 この銘文から、元は中原街道と碑文谷〜池上を結ぶ道との交差する地点に建てられたと推定されるが、民有地に移された後、平成一三年に現在地に移設された。
 江戸時代後期の民間信仰、交通史を考える上で貴重なものである。
  昭和四十九年ニ月ニ日指定  大田区教育委員会」

  

<題目宝塔/戦没死者英霊碑>

    

<洗足池碑>

  

<子育観音>

  

<小松稲荷>

   

<妙>

  


戻る