Discover 江戸旧蹟を歩く

 浅草寺

  ○ 久米平内堂
  ○ 二尊仏
  ○ 石造仏像
  ○ まんしゅう母子地蔵平和地蔵尊



久米平内堂

 久米(兵藤)平内は、江戸時代前期の剣術家です。
 多くの人をあやめ、その供養のため自らの姿を刻んだ石像を、浅草寺仁王門近くに埋めて衆人に踏ませました。
 後年「踏み付け」が「文付け」に転じ、江戸時代後期以降、縁結びの神として信仰されます。

    

    
 

<平内石像>

 扉は閉まっており、隙間から垣間見た石像です。多くの文が見えます。

   
 

「南無観世音 金竜山縁起正伝」(金竜山縁起編修会 明治45年)

 「金竜山縁起正伝」に久米平内石像が掲載されていました。

  
 

(説明板)

「久米平内堂
  台東区浅草二丁目三番一号 浅草寺
  久米平内堂(くめのへいないどう)
 久米平内は江戸時代前期の武士。『武江年表』によると、天和三年(一六八三)に没したとされるが、その生涯については諸説あり、実像は明らかではない。
 平内堂には次のような伝承がある。平内は剣術に秀でており、多くの人をあやめてきた。後年、その供養のために、仁王坐禅の法を修業し、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこんだという。臨終にのぞみ自らの姿を石に刻ませ、多くの人々に踏んでもらうことによって、犯した罪を償うために、この像を人通りの多い仁王門付近に埋めたと伝える。
 その後、石像はお堂に納められたという。「踏付け」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸時代中期以降、とくに縁結びの神として庶民の信仰を集めた。
 平内堂は、昭和二十年三月の戦災で焼失した。現在のお堂は昭和五十三年十月に浅草寺開創千三百五十年記念として再建されたものである。
  平成十八年三月  台東区教育委員会」

  
 

「江戸名所図会 兵藤平内兵衛二王座禅像」

 仁王座禅の像が描かれています。
 江戸名所図会の本文によると、久米姓は妻方のもので、久米姓は誤りで兵藤姓が正しいとのことです。

(本文)

「平内兵衛像 二王門の前右の方にあり 平内兵衛は兵藤氏なり 耳底記といへる書にむかし青山主膳といへる人の家士にして強勇の人なりと云云 後年石平道人正三(鈴木九太夫)の門人となりて大いに禅学を修す 則ちこの石像も二王座禅の体相にして平内兵衛生前にみずから造立せりとぞ 世に条平内と称するは大いになるあやまりなり 駒込海蔵寺墳墓夫婦同会の碑面に兵藤氏無関一索居士 粂氏松室瑩寿大姉とあれば平内兵衛は兵藤氏なる事あきらけし 恐らくは妻女の氏をもって混雑せしものならん」

   
 

「江戸名所図会 金龍山浅草寺其三」

 「せいし」「観のん」の二尊仏の奥に「平内像」が描かれています(該当部分の抜粋)。弁天池の手前です。
 「平内像」の堂宇は南を向いています。
 「新撰東京名所図会」の記載によると、高瀬善兵衛が観音勢至の濡佛(二尊仏)を建立するに当たって、
 平内兵衛の祠を濡佛(二尊仏)の東側に移動しました。
 安政の地震で破壊された堂宇は、明治28(1895)年に旧地の現在地に再建されました。
 現在の平内堂は、戦災で焼失し昭和53(1978)年に再建されたものです。

  
 

「江戸切絵図」

 江戸切絵図に「平内」が見えます。
 また平内が禅に打ちこんだという金剛院が姥ヶ池の南にあります。

  
 

「奇術競 粂平内左衛門長盛」(豊国)

  
 

「見立十二支の内丑 粂の平内左衛門・松若丸」(国芳)

  



二尊仏

 久米平内堂の東に二尊仏(濡れ仏)があります。

    

(説明板)

「二尊仏(浅草寺)
  台東区浅草二丁目三番 浅草寺
 「濡れ仏」の名で世に知られるこの二尊仏は、観音(右)、勢至(左)二菩薩の金銅坐像で、像の高さは共に二・三六メートル、蓮台を含めれば四・五四メートルにおよぶ。基壇の組み石は、長さ約十二メートル、幅六・二一メートル、高さ一・五メートルとなっている。
 蓮弁台座銘によれば、願主は上野国(群馬県)館林在大久保村の高瀬善兵衛、かって奉公した日本橋伊勢町の米問屋成井家より受けた恩を謝し、観音像は、旧主善三郎の菩提を弔うため、勢至像はその子次郎助の繁栄を祈るため、貞享四年(一六八七)八月に造立した。
 江戸時代初期の優秀な鋳造仏の一つで神田鍋町の太田久衛門正儀の作。
 安永六年(一七七七)二月高瀬仙右衛門が施主、千住の高瀬奥右衛門が願主となり、修理したことが観音像銘に追刻されている。
  平成十年三月  台東区教育委員会」

  
 
 

「東都金龍山浅草寺図」(魚屋北渓)

 二尊仏部分の抜粋です。「勢至」「観音」が見えます。

  



石造仏像

<阿弥陀如来像>

 二尊仏の左手にある、承応3(1654)造立の阿弥陀如来像です。

   
 

<地蔵菩薩と阿弥陀如来>

 二尊仏の裏側にある地蔵菩薩像と二基の阿弥陀如来像です。

 (左)  延宝5(1677)年銘「阿弥陀如来像」
 (中央) 享保11(1726)年銘「地蔵菩薩像」
 (右)  寛文11(1672)年銘「阿弥陀如来像」

   



まんしゅう母子地蔵

 満州での犠牲者を弔うため平成9(1997)根建立。
 願主は千野誠治氏。デザインは漫画家のちばてつや氏。題字と碑文は、森田拳次氏。

    
 

平和地蔵尊

 第二次世界大戦の戦争犠牲者の霊を慰めるため、昭和24(1949)年に建立。

  


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