Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 浅草寺

  弁天堂
  ・時の鐘
  ・芭蕉句碑
  ・聖観音真言梵字の碑(新吉原奉納)


○弁天堂 台東区浅草2-3-1

 小高い丘(弁天山)に、弁天堂が建っています。
 南の石階を下りたところは、池が埋め立てられ弁天山児童公園(浅草寺が管理)となっています。

     

(説明板)
「弁天山と呼ばれる小丘の上に立つこのお堂は、昭和五十八年に再建されたもの。
 ご本尊は白髪のため「老女弁財天」といわれる。関東三弁天(神奈川県江ノ島・千葉県柏市布施と合わせ)の一つとされ、小田原北条氏の信仰が篤かった。
 境内の鐘楼の鐘は、元禄五年(一六九二)五代将軍徳川綱吉公改鋳の江戸時代の「時の鐘」として、芭蕉の句『花の雲 鐘は上野か浅草か』で有名。現在は、毎朝六時に役僧が撞き鳴らし、大晦日には「除夜の鐘」が点打される。
 弁財天さまのご縁日は、「巳の日」で、堂内にてお参りができる。
  金龍山 浅草寺」

  

「江戸名所図会 金龍山浅草寺」

 「銭瓶弁天」が描かれている部分の抜粋です。
 「時の鐘」も見えます。

  

「江戸名所之内 浅草金竜山弁天山之図」(広重)

 左手に仁王門と観音堂、中央に五重塔、右手に弁天山が見えます。
 弁天山には銭瓶弁天、鐘楼が見えます。弁天池の畔の桜が映えます。

  

「浅草金竜山弁天山雪中之図」(国芳)

 左手に仁王門と観音堂、中央に五重塔、右手に弁天山が見えます。
 弁天山には銭瓶弁天、鐘楼が見えます。藍一色の弁天池が冴えます。

  

「東都金龍山浅草寺図」(魚屋北渓)

 「東都金龍山浅草寺図」から、弁天堂部分の抜粋です。
 「老女弁天」「時の鐘」とあります。

   

時の鐘>

 弁天堂に向かって右手に鐘楼と時の鐘があります。

   

(説明板)
「時の鐘(浅草寺)  台東区浅草二丁目三番
 江戸時代、人々に時刻を知らせる役割を果たしていたのが時の鐘である。当初、江戸城内にあったが、江戸市街地の拡大にともない日本橋本石町にも設置され、さらには浅草寺や寛永寺(上野山内)など、九個所でも時を知らせた。
 鐘の大きさは、高さ二・一二メートル、直径一・五二メートル。
 鐘銘によれば、撰文は浅草寺別当権僧正宣存で、元禄五年(一六九二)八月、五代将軍徳川綱吉の命により、深川住の太田近江大掾藤原正次が改鋳し、その費用として下総(現、千葉県)関宿藩主牧野備後守成貞が黄金二百両を寄進した。
 この鐘は、時の鐘として、あるいは浅草寺の梵鐘として、さまざまな文学作品にも登場しているが、中でも松雄芭蕉の句、
  花の雲 鐘は上野か 浅草か
は、あまりにも著名である。
 昭和二十年三月の東京大空襲で火を浴びたが無事に残り、今なお昔のままの姿を見せている。なお、鐘楼は同空襲で焼け落ち、昭和二十五年五月再建されたものである。
  平成十一年三月  台東区教育委員会」

  

芭蕉句碑>

 石階左手に芭蕉句碑があります。芭蕉の座像が線刻されています。
 「くわんをんの いらか見やりつ 花の雲  はせを」

   

(説明板)
「松尾芭蕉の句碑
 くわんをんの いらか見やりつ 花の雲  はせを
 俳諧紀行文『奥の細道』などを著した松尾芭蕉は、寛永二十一年(一六四四)伊賀上野(現、三重県上野市)に生まれました。
 芭蕉という俳号は、深川の小名木川ほとりの俳諧の道場『泊船堂』に、門人が芭蕉一枚を植えたことに由来します。独自の蕉風を開き『俳聖芭蕉』の異名をとった松雄芭蕉は、元禄七年(一六九四)十月十二日、大坂の旅舎で五十一年の生涯を閉じました。
 この句碑は寛永八年(一七九六)十月十二日、芭蕉の一○三回忌に建立され、元は浅草寺本堂の北西、銭塚不動の近くにありましたが、戦後この地に移建されました。
 八十三歳翁泰松堂の書に加えて、芭蕉のスケッチを得意とした、佐脇嵩雪が描いた芭蕉の坐像が線刻してありますが、二百年の風雪を経て、碑石も欠損し、碑面の判読も困難となっております。
 奥山庭園にある『三匠句碑』(花の雲 鐘は上野か浅草か)と共に、寄しくも『花の雲』という季語が詠みこまれております。
  平成二年四月吉日  浅草観光連盟」

  

<扇塚>

 二代花柳徳太郎による初代花柳徳太郎顕彰碑で、昭和39(1964)年の建立です。

  

<添田唖蝉坊碑/文士添田知道筆塚>

 左は演歌師の「添田唖蝉坊碑」(昭和30(1955)年)です。
 「つきいだす鐘は上野か浅草か 往き来し絶えて月にふけゆく吾妻橋 誰を待つやら恨むやら 身をば欄干に投げ島田 チョイトネ」

 右は唖蝉坊の長男の「文士添田知道筆塚」(昭和57(1982)年)です。

   

     

<都々逸塚>

 「歌二六号 都々逸塚 亀屋忠兵衛」
 昭和42年(1967)の建立です。

   

<普閑の歌碑>

 「かかるとはおもひさだめし・・・」の歌を刻んでいます(浅草大百科より)。
 嘉永5(1852)年の建立です。

  

聖観音真言梵字の碑>

 新吉原の山口巴屋が天保8(1837)年に奉納した碑があります。
 「上部に聖観音の種字「サの字」。中部にオン・アロリ・キヤ・ソワカ・ボロン。下部に弥陀の種字キリーク」(浅草大百科より引用

   

(裏面)
 「書写観音 経一四句 偈以希願 ニ世悉地
  吉原 仲の町 山口巴屋 とえ建立
  天保八年七月」

    

「新吉原江戸町壱丁目和泉屋内」

 山口巴屋は吉原大門を入ってすぐ右手にあった引手茶屋です。
 背景に山口巴屋が見えます。

   

<鳩塚>

 他の碑とは離れて、弁天山児童公園からの階段脇に「鳩塚」があります。
 かつて境内にあった「鳩豆屋」(願主:小柳津)が、鳩の慰霊のため昭和35(1960)年に建立しています。

   


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