○ 交通広場のシンボルツリー「高野槇」
千住大橋駅前交通広場に「高野槙」が植樹されており、説明板が設置されています。
(説明板)
「交通広場のシンボルツリー「高野槙」
交通広場の中央に見える立ち木は、交通広場のシンボルツリーとして植樹した常緑針葉樹「高野槙」です。和歌山県の高野山に多いことに由来する命名です。高野槙は、水に強くて朽ちにくいことから、橋の支柱として利用されていました。
「千住大橋」は、徳川家康から普請奉行に任じられた伊奈備前守忠次が、文禄三年(一五九四年)、荒川(現在の隅田川)に架橋した木造橋「大橋」がその始まりです。大橋はその後流失のたびに架け替えられ、江戸時代を通じて維持されました。当時、多くの人々から名橋と謳われたその力強い姿は、江戸の名所として浮世絵師や画師たちの題材に度々取り上げられました。
この千住の大橋の橋杭材として用いられたのが高野槙です。昭和二年(一九二七年)、金属製のアーチ橋に架け替える際、木造橋を惜しんだ千住の人々は、その橋杭を素材とした彫刻制作を地元の木彫家に依頼しました。以後作品は家々で守られ、大橋の歴史を今日に伝えています。
なお、当時の木造橋の橋杭三本は、現在でも千住大橋の橋下の水中に見ることができます。
高野槙は千住大橋さくら公園にもシンボルツリーの一本として、植樹されています。」