Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 谷中 西光寺(佐竹家と藤堂家の祈願所)


〇西光寺 台東区谷中6-2-20

 沸到山無量寿院西光寺と号します。
 佐竹右京太夫義宣公が開基、宥義法印(佐竹大膳太夫義篤公二男)が開山となり、神田北寺町に慶長8(1603)に創建、
 慶安元(1648)年に当地へ移転したといいます。
 佐竹家の他に藤堂家の祈願所でもあり、藤堂高虎が韋駄天像など多数の石像を寄進しています。
 本所弥勒寺の末寺でした。
 上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場7番、御府内二十一ヶ所霊場7番、江戸八十八ヶ所霊場第70番(後に他寺と入替)です。

「江戸切絵図」
 江戸切絵図に「西光寺」とあります。
 隣は「長久寺」とあり、現在も江戸時代と変わらぬ配置です。

  

「御府内八十八ケ所道しるべ」(国立国会図書館蔵)
 江戸時代は、江戸八十八ヶ所霊場第70番として紹介されています。
 参道右手に十一面観音の大きな石像が描かれています。

  

<沿革>

(説明板)
「慶長八年(一六〇三)傳燈大阿闍梨妙院法院宥義大和尚が幕府から寺地を給わせられ神田北寺町に開山する。
仏寺創建の際、藤堂高虎侯が財政的支持をおこなった。
また、壇越として他にも久保田藩主佐竹義宣侯がいたと伝えられています。
慶安元年(一六四八)寺地収公されたことにより、神田から谷中の地へ移り佐竹修理太夫義隆が堂舎を再建しました。
境内二千二百九十余坪のほかに、寛永寺中堂領年貢一反一畝(一反=三百坪、一畝=三十坪)を添地としていた。
江戸期には、秋田藩(秋田市)佐竹家・伊勢津藩(三重県津市)・藤堂家の祈願寺として信仰されてきました。」

   

<参道>

 山門から本堂まで短い参道です。参道右手に石造諸仏が並びます。

     

<庚申塔> 台東区文化財

 安永6(1777)年銘の庚申塔です。

 標柱「台東区有形民俗文化財 庚申塔」
 右側面「安永六丁酉歳夏四月庚申日」
 左側面「羽鳥氏經建之」

      

<六地蔵>

  

<韋駄天像、十一面観音菩薩像、地蔵像>(左から)

 韋駄天像と十一面観音菩薩像は、文禄・慶長の役で水軍を指揮した藤堂高虎が朝鮮より請来し安置しました。
 文禄・慶長の役の結果、我が国は強く朝鮮文化の影響を受けることとなったようです。
 これらの像には銘が刻まれていないようでどこから持ってきたのか由来がわからないので返還請求はないと思われます。
 十一面観音菩薩像は、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場7番の札所となっていました。

     

 右端は地蔵像ですが、横幅があり見慣れないお顔です、こちらも朝鮮伝来ですかね?

  

<閻魔立像>

 座像ではなく立像の閻魔王は珍しい。
 閻魔立像も朝鮮伝来ですかね?

    

<南無大師遍照金剛/脇タヌキ>

   

<タヌキ/アマビエ>

 恵比寿天のタヌきは初めてみました。

     

<線香自動販売機>

  

<御朱印>

 多様な御朱印が掲示されていました。
 足の速い韋駄天と他抜きのタヌキはどちらが早いのでしょうか、同着ですか。

    


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