江戸時代の火除け地が広小路に発展し、両国広小路は、上野、浅草と並ぶ有数の盛り場でした。
石碑の施工は、石勝ガーデンとあります。江戸時代から続く石屋。将門塚の石碑も石勝ガーデン施工です。
(裏面碑文)
「明暦の大火(1657年)は江戸の市街の大半を焼失し10万余の死者を出した その際このあたりで逃げ場を失って焼死するものが多数出た このため対岸への避難の便を図り両国橋が架けられた 隅田川は当時武蔵下総両国の境をなしていた また延焼防止のため橋に向う沿道一帯を火除け地に指定し空き地とした やがてこれが広小路となり 江戸三大広小路の一つとして上野浅草に並び称せられる盛り場に発展した 明治維新のころここには新柳町元柳町横山町吉川町米沢町薬研堀町若松町があったが 昭和7年合併して日本橋両国となり現在に及んだ 維新後百年を経た今日 まちの近代化はめざましく 広小路や両国の名も過去のものとして忘れ去られようとしているが 300年前火除け地が設定され これが広小路に発展して行った事跡の中には 先人の英知と努力が偲ばれてまことに意義深いものがある ここに由緒ある両国広小路の旧跡を永く保存するため町会の総意により この碑を建てた
昭和44年11月3日
中央区日本橋両国町会 建碑
施工 青山 石勝ガーデン」
<浮世絵に見る広小路>
「江戸両国すずみの図」(豊国)
複数の絵を連結しています。西側の両国広小路が描かれています。
よしず張りの茶店が並んでいます。
左下には「大坂下り」の幟が見えます。見世物の軽業興行でしょう。
北斎の絵で橋から2軒目に「水」の幟が見えましたが、
その2軒目から、行商に出る冷やし水売りが見えます。
「隅田川両岸一覧 両国納涼・一の橋弁天/無縁の日中」(北斎)
2つのタイトル絵を連結しています。
水の幟が見えます。氷かと思いましたが、冷やし水かと思います。
「隅田川両岸一覧」(北斎)
3つのタイトル絵を両国広小路部分を抜粋して連結しています。
左が両国橋、右が元柳橋です。
軽業とからくりの幟が見えます。水の幟が2つ見えます。
隅田川の向岸には幕府の御船蔵がずらりと並んでいます。
「新板浮絵 両国橋夕涼花火見物之図」(北斎)
北斎が春朗時代に描いた浮絵です。
手前に両国広小路、中央に両国橋、その向こうに花火、向岸には御蔵橋と石原橋が見えます。
両国広小路には「志るこ餅」などの店が見えます。