隅田川花火大会の歴史を紹介する年表、実物の花火玉や花火師が羽織る半纏などを展示しています。
小規模ながらコンパクトにまとまっています。館内での写真撮影は可能です。
「パンフレット」
<浮世絵に見る両国花火と納涼>
「東都両国夕涼之図」(貞房)
江戸時代の花火師の屋号に「玉屋」と「鍵屋」があり、上流を玉屋が、下流を鍵屋が受け持っていました。
玉屋は鍵屋の分家で、天保14(1843)年に失火により所払となり、以後、鍵屋が花火を扱いますが、
掛け声は「たまや〜、かぎや〜」と呼ばれました。
玉屋が花火を打ち上げている錦絵があります。
右手に柳橋、左手に御船蔵が見えるので隅田川下流です。玉屋の担当の上流ではありませんが描かれています。
「名所江戸百景 両国花火」(広重)
両国の花火を描いた作品で、大輪が描かれています。
「江戸自慢三十六興 両こく大花火」(広重、豊国)
右手に御船蔵が見えるので、両国橋の下流から花火を描いています。
「両国花火之図」(小林清親)
明治の両国花火を描いています。
「武藏百景之内 両国花火」(小林清親)
同じく小林清親の作品です。
「東京開化狂画名所 両國川開芸妓花火に夢中となる」(月岡芳年 都立図書館蔵)
月岡芳年が描くとこうなります。
「東京名所三十六戯撰 両國花火」(昇齋一景 明治5(1872)年)
見物だけではなく、自分たちも花火をしていますが失敗しているようです。
「両国川開の花火」(楊洲周延 明治27年)
明治の両国川開きの様子が描かれています。
<納涼船>
「隅田川両岸一覧 両国納涼・一の橋弁天/無縁の日中」(北斎)
葛飾北斎の錦絵からです。隅田川右岸、柳橋の料亭側から両国橋を見ています。
納涼の屋形船の部分を拡大。屋根の上から船を動かしていたのですね。
「東都名所 両国橋夕涼全図」(初代広重)
多人数で納涼船を進めています。
手前に6人が見えます。船頭が1人。合計13人で動かしています。
「新板浮絵 両国橋夕涼花火見物之図」(北斎)
北斎が春朗時代に描いた浮絵です。
手前に両国広小路、中央に両国橋、その向こうに花火、向岸には御蔵橋と石原橋が見えます。
<欄干の納涼船>
隅田川テラスの欄干(言問橋下流)に、屋根船と屋形船が描かれています。
屋根船は1人で、屋形船は屋根の上で6人で操作しています。