○ 毎日神社
○ ニッポン記念碑
〇 ニツポン世界一周大飛行の意義(東京日日新聞社)
皇居の横にあるのが「パレスサイドビル」です。
白い円柱状の2基の塔(エレベーター塔)が、2つのビルの両端に位置しています。
パレスサイドビルの屋上、中央北側に祀られているのが「毎日神社」です。
昭和14(1939)年、毎日新聞社(当時東京日日、大阪毎日)の双発機ニッポン号が世界一周を達成したのを記念して創建されました。
「飛行機が落ちない」から「入試で落ちない」「成績が落ちない」「業績が落ちない」というご利益があるようです。
毎日新聞東京本社の有楽町旧社屋からパレスサイドビルへの移転に伴い、
旧社屋5階総務局の応接室に祀られていた毎日神社も、昭和41(1966)年10月17日にパレスサイドビル屋上に遷座しました。
(参考)神符奉安所
全国各地からよせられた飛行の無事大業完成を祈る神符の奉安所を東京日日新聞社本社五階大会議室の一隅に設けることとなり、
昭和14(1939)年7月15日に日枝神社神官による修祓式が挙行されました。
大業完成により神符奉安所は毎日神社となりました。
<毎日神社由来>
(プレート文)
「毎日神社由来
本神社は昭和十四年(一九三九年)十月二十日毎日新聞社機「ニッポン」号による同社主催世界一周大飛行の完成記念として創建された 祭神は天照大神産土神日枝大神ならびに飛行の平安完遂を祈願し全国読者から寄進の御神符が奉安されている。
同航空機は中翼単葉の双発機で翼長二五メートル・全長一六メートルの純国産 当時日本航空科学の粋を集めて制作された 全航程五万三千キロ 北太平洋横断無着陸飛行に成功 空の難関といわれた南米アンデス越えの新記録や大西洋横断の快記録など 世界航空史に不滅の光彩を放っている
祭日 例大祭十月二十日 月例祭二十日」
<屋上の利用について>
パレスサイドビルの屋上は、平日の午前11時〜午後3時に開放されています(雨天の場合は閉鎖)。
屋上のエレベーターホールとエレベーターボタン
<屋上>
北側展望案内板と不二ラテックス本社ビル
南側展望案内板と平川門
内堀通りと大手濠緑地
○ニッポン記念碑 千代田区一ツ橋1-1-1 パレスサイドビル1階
1階の毎日新聞社玄関に、ニッポン記念碑が置かれています。
ニッポンの機体には「JーBACI」と描かれています。
「ニッポン世界一周大飛行完成記念」「皇紀二千五百九十九年十月二十日」「東京日日新聞社 大阪毎日新聞社」
ニッポン世界一周飛行記録
台座四隅の四羽の鳥は、くちばしが長いので鳩ではないようです、鷹か隼?
<ニッポン記念碑の由来>
(説明板)
「『ニッポン』記念碑 の由来
毎日新聞社は、昭和14年(1939)に、国際親善を深めるための世界一周飛行をなしとげた。毎日新聞航空部所属のパイロットが純国産機を操縦して、日本人として初めて太平洋、大西洋を横断し、北半球と南半球を結んで飛び、わが国の技術水準の高さを世界に示した。
使用機は、全長15メートル全幅25メートル全高3.6メートルの三菱製の双発輸送機で、巡航速度は260キロメートルと、当時の最新鋭機だった。
同機の名前には、130万通にのぼる読者の応募ハガキの中から、『ニッポン』が選ばれた。
『ニッポン』は、8月26日に東京・羽田飛行場を出発、10月20日に帰国した。56日間の全行程は52,860キロメートルで、実飛行時間は194時間だった。
世界一周飛行後まもなく、毎日新聞社は『ニッポン』のスケール・モデルを地球儀にのせた記念碑を作ったが、本社屋の移転などの間に破損してしまった。そこで『ニッポン』世界一周飛行後満50年にあたることし、設立当時のままに復元した。このため年号が「皇紀」となっているほか、社名が「大阪毎日」、「東京日日」となっている。
平成元年夏 毎日新聞社」
「「ニッポン」の世界一周飛行から50年目の平成元年(1989)にこの碑を復元した。 毎日新聞社」
詳細な記録が残されています。写真を中心とした抜粋です。
ニッポン世界一周大飛行記録画
ニッポン命名式当日(昭和14年8月3日 東條英機航空総監の姿も見えます)
待機のニッポンと乗員
羽田出発の瞬間―円内はニッポンを送る朝日新聞社の「朝風」―
上が毎日新聞社「ニッポン」、下が朝日新聞社「朝風」です。
札幌飛行場出発直前のニッポン
ニッポン太平洋横断
太平洋横断を終えノーム着
シカゴ空港に翼を休めるニッポン
峻険アンデスを突破してブエノスアイレスに安着
偉業完成 東京飛行場に帰還するニッポン