朝鮮李朝時代後期の石人(せきじん)と望柱石(まんじゅそく)が、北とぴあパークに置かれています。
石人と望柱石は、二体・二本で一対をなし望柱石は墳墓の参道の入口に標識として、石人は墳墓の守護として置かれました。
これは銘が刻まれておらず、置かれていた場所を離れると、その由来はわからなくなります。
寛永寺と増上寺の将軍霊廟に奉献された石燈籠は銘が刻まれているので、置かれていた場所を離れても由来がわかるのと対照的です。
(説明板)
「石人と望柱石
ここにある石造物は、朝鮮でつくられたものです。中央にある人の像は石人といい、また両端の柱は望柱石といいます。ふつう、二体・二本で一対をなします。中国では古くから宮殿・廟・墳墓の近くに置かれていました。唐の時代からは、墳墓の参道に規則正しく置く風習が盛んになりました。それが朝鮮に伝わり、それ以降の墳墓にはこの形態でつくられました。ここにある石人は花こう岩に文官を彫ったもので、日本の江戸時代にあたる朝鮮(李朝)時代後期のものです。また着用している衣の表と裏にある模様は役人の官位をあらわします。
望柱石は墳墓の参道の入口に標識として置かれて、葱の花の形のような擬宝珠をのせた八角形のものです。その八角形の一面に獣が浮彫りにされ、また擬宝珠の下に雲形の模様がみられる点が特徴的です。」
(参考)
大倉集古館(港区虎ノ門)に展示されている「文人石
朝鮮・朝鮮時代」と「石羊 朝鮮・朝鮮時代」です。
(参考)
七社神社(北区西ヶ原)に置かれている旧古河邸の古河家寄贈の孔子像と孟子像です。
(参考)
願生寺(港区高輪)の満州方面の工芸品を檀家が寄進した石羊です。
(参考)
大行寺(台東区谷中)にある文人石です。
東横INNの玄関前の植栽に馬頭観音があります。立派な堂宇に囲われ、馬頭観音は新しいです。
昔からこの位置に祀られていたと思われますが、由来等は確認できず。
稲荷前ガードをくぐって線路反対側へ。
岸町側入口に到着します。入口には七匹の狐が描かれています。
ガードを抜けた先を進み、突き当たりを右に行くと王子稲荷神社があります(こちらで記載)。