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 扇三嶋神社


○扇三嶋神社 足立区扇2-9-3

 小田原北條氏の元家臣だった阿出川権左衛門知康が、本木村の太田(おおだ)を開拓、崇敬していた三嶋大明神を勧請したといいます。
 現在は扇の地にありますが、この地はかつて本木村で、三嶋神社は、本木村の小名太田・高野の鎮守社でした。
 珍しい仁王型庚申塔と、燈籠型庚申塔があります。
 これまで見た中には、狛犬型庚申塔や狛犬型出羽三山供養塔などがありました。

「江戸切絵図」

 「六アミタ木余如来性翁寺足立姫墓有」と、その隣に「本木大田三嶋大明神」が記載されています。

  

<仁王型庚申塔>

 仁王型庚申塔が電話ボックスの横にあります。

 元禄10(1697)年銘の仁王型庚申塔です。
 「元禄十丁丑天 十一月上旬」
 「庚申待成就 三嶋御宝前 本木太田村」

    

     

<鳥居>

 控柱があり瓦葺の鳥居です。平成14(2002)年9月の建立です。

    

    

<三嶋神社由来碑>

 平成14(2002)年9月の建碑です。

(碑文)
「三嶋神社由来碑
 三嶋神社の祭神は大山津見命。慶長年間に元小田原北条氏の家臣であった阿出川丹後守権左衛門知康という人が元木村字太田一帯の開拓をすすめたと伝えられる。三嶋神社は彼が年来崇敬してきた三嶋大明神をこの地に勧請したことに始まるという。
 寛文年間には鳥居や社殿が新たにされ、疫病除けに本地仏薬師如来を建立した。その頃からずっと三嶋神社は太田と高野の人々の鎮守として祀られてきた。当時、太田・
高野の人家は四十軒程であった。延享元年には本殿を覆う雨屋(鞘堂)が建立された。その後も改修が繰り返され、氏子の努力と町民の協力によって今日まで維持されてきた。幸いに、保存されている棟札が、氏子の献身と神社の経歴を今日に伝えている。
 棟札の他に当神社に付随する文化財として、年々奉納される絵馬と延宝六年の灯籠型庚申塔一対及び荒川放水路開削工事で移設された水神碑と元禄十年の仁王型庚申塔一対(区内唯一のもの)がある。
 慶長年間(一五九六〜一六一四)
 寛文年間(一六六一〜一六七二)
 延宝六年(一六七八年)燈籠型庚申塔
 元禄十年(一六九七年)仁王型庚申塔
 延享元年(一七四四年)雨屋新設
 文化十五年(一八一八年)雨屋改修
 明治十三年(一八八○年)鳥居改修
 昭和三十年(一九五五年)社殿改修」

   

<牛頭天正宮/馬頭観音>

  

<玉垣建設記念碑>

 奉納寄付者のお名前に阿出川氏が複数見えます。ご子孫なのでしょうね。

  

<稲荷社/第六天龍王社>

      

<水神宮>

 水神宮は荒川開削のため昭和18(1943)年にこちらに移設されています。

 表「水神宮」
 裏「昭和十八年九月本木六丁目六千四百三十四番地より当方に移転す
   昭和三十七年六月吉辰
   本木五丁目南町会氏子中」

   

<拝殿・本殿>

    

    

<石燈籠型庚申塔>

 延宝6(1678)年銘の燈籠型庚申塔です。
 鞘堂の中の本殿前に一対あります。近寄れないので銘文などは確認できず。
 倒壊の修復跡が両基ともあります。

    

    

<足立区指定第835号>

(説明板)
「足立区指定第835号 保存樹木 まき
 神社には、まき・けやき・えのき・すだじいが保存樹に指定されています。中でも、まきは、明治時代に植えられたものと思われ、一番古い木です。これからも鎮守の木々を大切に地域にシンボルになるよう見守って下さい。
 平成18年5月撮影」

    

<扇南町会会館>

 朝礼台もあります。ここでラジオ体操なども行われているのでしょうね。

  


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