○ 八景坂と鎧掛松
○ 八景碑
○ 三代目の鎧掛松の切株
八景坂(やけいざか)は、大森駅西口前の池上通りの坂道です。
八幡太郎義家が鎧を掛けた鎧掛松がありました。
薬研坂(やげんざか)とも野鶏坂(やけいざか)ともいわれ、風光明媚な景勝地として知られていました。
東海道を江戸に向かうとき、鈴ヶ森刑場を忌避して、八景坂より南品川へ向かう婦女子も多かったようです。
「江戸名所図会 八景坂 鎧掛松」
八景坂(やけいざか)と鎧掛松(よろいかけまつ)が描かれています。松は2本描かれています。
江戸湾に沿って東海道が見え、大きな松が1本海岸側に見えます。鈴の森でしょう。
「東都坂尽 品川大井八景坂鎧掛松」 (広重)
松は2本描かれています。
「絵本江戸土産 八景坂 鎧懸松」(広重)
描かれている松は1本です。崖が崩れて松とともに無くなったように見えます。
八景坂のふりがなは、「はつけいざか」とあります。
「やけいざか」「やげんざか」「はっけいざか」と三様に呼ばれたようです。
「名所江戸百景 八景坂鎧掛松」(広重)
描かれている松は1本です。
海岸沿に東海道が見えます。
「江戸名勝図会 八景坂夕栄」(二代広重)
八景坂(振仮名は、やけいざか)より南品川に向かう駕篭が見えます。
<八景坂>
(説明板)
「大田区文化財 八景坂(はっけいざか)
今でこそゆるやかな坂道であるが、昔は相当な急坂で、あたかも薬草などを刻む薬研の溝のようだったところから、別名薬研坂と呼ばれた。
この坂の上からは、かつて大森の海辺より遠く房総まで一望でき、この風景を愛した人たちにより「笠島夜雨、鮫州晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という八景が選ばれ、八景坂というようになったといわれる。
かつて坂上には、源義家が鎧をかけたと伝えられる松があり、広重らの浮世絵に描かれ、有名であった。
昭和五十一年二月二十五日指定 大田区教育委員会」
天祖神社の参道の石段脇に、大野景山句碑があります。
「鎌倉の よより明るし のちの月 景山」
裏面には「荒藺崎八景 笠嶋夜雨・鮫洲晴嵐・大森暮雪・羽田帰帆・六郷夕照・大井落雁・袖浦秋月・池上晩鐘」と刻まれ、「八景碑」と呼ばれています。
神社総代の記によると、三代目の鎧掛松は、大正6(1917)年10月の台風で倒れ、切株が残されています。
平成26(2014)年6月に奉納の木台の上に鎮座しています。