○ 陶首稲荷神社
中川船番所跡の小名木川対岸に、陶首稲荷神社があります。
陶首は、「すえくび」と読むようですが、近くの地図では「Toshu
Inari-jinja shrine」とあります。
陶首稲荷神社は、小名木村の又兵衛がこの地を開発し、寛永3(1626)年に創建されました。
昭和20(1945)年3月の東京大空襲で焼失し、昭和26(1951)年9月に再建され、平成11(1999)年9月老朽化のため再建されています。
「南本所羅漢寺ヨリ中川迄」(天保十一年八月 国立国会図書館蔵)
国立国会図書館所蔵の天保11年の地図より抜粋です。
「中川御番所」の向かいに、「永福寺」「稲荷」が見えます。
「永福寺」は現在は移転しており、現在は墓地のみ残っています。
「稲荷」が陶首稲荷神社でしょう。
立地には、又兵衛新田と記されています。
<旧永福寺墓地> 江東区東砂2-14-4
永福寺跡は、墓地のみ存続しています。
永福寺歴代住持墓5基が江東区史跡に指定されています。
<扁額/燈籠>
扁額は「陶首稲荷神社」。
<水盤> 江東区文化財
嘉永3(1850)年銘の水盤が江東区文化財ですが、水盤が2つあり、どちらですかね。
<天水桶>
キューポラのある街、川口で造られた昭和4(1929)年の天水桶です。
「武州川口町 田中末吉製造」
<神狐>
左の神狐は、崩れ落ちています。右の神狐は親子です。
<祠>
御影石の台座に木造の祠です。
「再建記 1999年平成11年9月老朽化ノ為再建」とあります。
<石塔三基>
<土公神(どくしん、どこうしん)>
表「土公神」
裏「昭和二十八年十一月吉日」「丸山儀八郎建之」
<庚申塔> 江東区文化財
側面「天保十五甲辰二月吉日」(1844年)
<道祖神>
表「道祖神 海軍中将佐藤鐡太郎」
裏には、神社の歴史が刻まれ、寛永3年の造立で、洪水や関東大震災で大破し、昭和8年6月に再建したと記されています。
また、昭和20年3月大東亜戦争により焼失、昭和26年9月再建したと記されています。
<石造物残骸>
石祠かと思われる残骸等があります。