Discover 江戸史蹟散歩
 
 奉献石燈籠 寛永寺編

  ○ ホテルニューオータニ日本庭園
    ・近江彦根藩井伊家屋敷跡
    ・奉献石燈籠


○ホテルニューオータニ日本庭園 千代田区紀尾井町4-1 HP

<弁慶橋> 港区元赤坂一丁目〜千代田区紀尾井町

 弁慶濠に架かるのが「弁慶橋」です。
 「弁慶豪」に面した鬱蒼とした森がホテルニューオータニ日本庭園です。

   

<オータニ庭園の由来>

(説明板)
「オータニ庭園の由来
 四季折々の美しさを誇る四万平方米のこの庭園は、もと伏見宮邸でありましたが戦後外国人の手に渡ろうとしたのを、当ホテル創業者故大谷米太郎がこの由緒ある地を失う事を惜しみ、又、当時の行政府の要請もあり昭和二十一年、これを譲り受け荒れはてた庭を改修して名石、樹木を配し、今日のオータニ庭園としたものです。
 この地は井伊掃部頭、更にさかのぼって、加藤清正公の江戸屋敷でありました。庭園に残る数々の石灯籠は、その当時の古い面影を偲ばせる貴重なものであります。又、庭園に点在する赤褐色の石は主に佐渡の赤玉石でありますが、その高雅な独特の色彩で庭石として珍重されています。これらの数多くの奇石、名石はその種類、規模に於いて他に例のないものです。
 何卒、都心の中の花と緑のオータニ庭園をごゆっくりご鑑賞ください。  ホテルニューオータニ」

   

近江彦根藩井伊家屋敷跡>

 庭園の入口に「近江彦根藩井伊家屋敷跡」碑と説明板があります。

(説明板)
「近江彦根藩井伊家屋敷跡
 この地には、江戸時代に近江彦根藩井伊家の麹町邸があり、井伊家は外桜田にあった永田町邸(国会前庭一帯)を上屋敷として使用していましたので、ここは中屋敷として使われました。
 井伊家は、武勇の誉れが高い家柄で、藩祖直政は、関ヶ原の戦いで徳川家康の軍奉行として活躍しました。慶長5年(1600)近江佐和山に18万石で封ぜられ、慶長9年(1604)直政の子直勝の時代に彦根藩主となり近江国等を領地とし、以後、16代にわたって明治維新まで続きました。石高はほぼ35万石でした。井伊家は、譜代大名の筆頭であり、大老職に任じられる名家でもありました。幕末に幕政を動かした井伊直弼は、特に有名です。
 明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました。」

   

 創業者大谷米太郎のコレクションである佐渡島の金山より運ばれた「赤玉石」と「石燈籠」が置かれています。

     

「江戸切絵図 外桜田永田町絵図」

 江戸切絵図から、桜田門近くの井伊家上屋敷と、赤坂御門近くの井伊家中屋敷部分の拡大です。
 また、「紀尾井町」の語源となった、紀伊殿・尾張殿・井伊掃部頭の屋敷部分の拡大です。
 弁慶橋はまだ架かっていません。すでに紀尾井坂の文字が見えます。

    

<イヌマキとカヤ>

 「イヌマキ」と「カヤ」の2本は、天明年間(1780年代)からこの地に生育していたものと考えられ、
 千代田区の文化財に指定されています。

(説明板)
「旧伊井家中屋敷のカヤ
千代田区指定文化財
2009年(平成21年)4月1日指定
 イチイ科の常緑針葉樹であるカヤは、日本では福島県から屋久島にかけて分布する樹種のひとつで、大きいもので高さ36mに達します。弾性が強く加工しやすいという特徴から、碁盤や将棋盤の材料として珍重されています。
 このカヤは目通り幹囲が294cm、直径が93.6cm、樹高は約17.6mで、年輪の測定から200年以上の樹齢を持ち、江戸時代中期の1781年〜1789年(天明年間)頃に遡ることが判明しました。当時この地にあった近江彦根藩(現在の滋賀県)井伊家の中屋敷内で生育していたことになります。
 かつて千代田区内には、江戸城内や大名屋敷の庭園などに多数の樹木がありましたが、今はほとんど残っていません。江戸時代以来の樹木として極めて貴重なものといえます。 千代田区」

   

(説明板)
「旧伊井家中屋敷のイヌマキ
千代田区指定文化財
2009年(平成21年)4月1日指定
 マキ科の常緑針葉高木であるイヌマキは、関東地方南部以西の本州、四国、九州に、沖縄に広く分布しており、耐朽性と耐水性に強く防風林や建築材として用いられる樹木です。
 このイヌマキは、目通り幹囲が268cm、直径が85.4cm、樹高は約21.1mで、年輪の測定から200年以上の樹齢を持ち、江戸時代中期の1781年?1789年(天明年間)頃に遡ることが判明しました。当時この地にあった近江彦根藩(現在の滋賀県)井伊家の中屋敷内で生育していたことになります。
 かつて千代田区内には、江戸城内や大名屋敷の庭園などに多数の樹木がありましたが、今はほとんど残っていません。江戸時代以来の樹木として極めて貴重なものといえます。 千代田区」

   

<太鼓橋>

   

<清泉池/太鼓橋>

 大きなコイが悠々と泳いでいます。

     

<大滝>

 清泉池から流れ落ちます。

  

<トレーダーヴィックス創始者バージェロン石碑>

   

<紀尾井窯>

 宿泊客を対象に陶芸教室が開かれます。

  

<鹿像>

 石心亭の裏にいる鹿です。

  

奉献石燈籠>(寛永寺)

 奉献石燈籠が、大猷院殿(3代将軍徳川家光)1基、文恭院殿(11代将軍徳川家斉)4基ありました。
 ホテル創始者の大谷米太郎が戦後、寛永寺最後の放出時に買い求めたものです。

@ 文恭院殿尊前
  斜面にあり近寄れず、奉献者等詳細確認できず。

  

A 文恭院殿尊前

  奉献石燈籠一基
  武州 東叡山
  文恭院殿尊前
  天保十二辛丑年閏正月晦日
  従五位下豊後守藤原朝臣内藤正縄

    

B 文恭院殿尊前

  奉献者は、原姓〜。所々剥がれており、詳細には読みとれず。

   

C 大猷院殿 尊前

  奉献石燈籠両基
  武州 東叡山
  大猷院殿 尊前
  従五位下井伊兵部少輔
  慶安五年壬辰四月
  藤原直之
  (直之は、井伊直好直の初名。上野安中藩主→三河西尾藩主→遠江掛川藩主)

  徳川家光の奉献石燈籠ですが、保存状態良く読みとれます。

     

D 文恭院殿尊前

  奉献石燈籠一基
  武州 東叡山
  文恭院殿 尊前
  天保十二辛丑年閏正月晦日
  従五位下保科弾正忠源正益
  (保科弾正忠正益は上総飯野藩の第10代藩主)

     

<春日燈籠/四角大層坊塔(十三重の塔)>

 春日燈籠には十二支の動物が刻まれそれぞれの方角に向いて設置されています。

      


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