七曲がりの雷神社前交差点に、雷神社はあります。
<来歴>
(掲示)
「雷神社故事来歴
由緒
一 江戸時代の中期正徳三年(一七一三年)この地方は度び重なる落雷に襲われ田畑は荒れ果て草木は枯れて荒地と化し旱魃は続いて享保の飢饉となって長い歳月は流れていった
一 徳川八代将軍吉宗の復興を奨励する享保の改革もあって新田の開発も行われ治水も進むなかで村人達は寄り合い協議の上 雷なりの大神を建立し氏神様として祀り神社の境内中央に御神木として椎の木(スダジイ)を植樹し郷人達の安泰五穀豊穣を祈願したと伝えられる
一 建立した当神社の御神体は石造坐像で碑高一尺二寸碑巾八寸五分あって当神社に安置されている座像の台座には享保一八年(一七三三年)丑の九月吉日西新井村中と銘刻されてある御神体 建立は今から二百六十年前のことである
一 大正四年卯の四月大正天皇の即位を記念して神社の改築及び整地を行ない 数十本の植樹をして奉納した
一 昭和五年(一九三十年)現在の社殿を木造流れ造りに造営する
一 平成四年(一九九二年)有志により雷神社玉垣奉賛会を結成し神社聖域の玉垣を建立し併せて狛犬一対の献納をして現在に至っている
平成五年九月吉日 碑文建之」
<保存樹木 すだじい>
社殿左手前に「すだじい」があります。
伊興村字諏訪(下戸地区)の鎮守として祀られてきたといいます。
昭和37(1962)年に放火で焼失したため、社殿が再建されています。
「諏訪神社新築記念碑」が建てられています。
<手水鉢>
天保14(1843)年銘の手水鉢です。
<富士講碑>
「丸瀧講碑」
大正2年。
「富士山登山碑」
大正10年及び12年登山
「丸瀧講碑」
大正9年
<三峯神社>