中曽根神社は、千葉次郎勝胤公によって室町時代に築城された中曽根城内に、千葉氏の崇敬する妙見社を勧請したものといい、
昭和7(1932)年に興野の雷神社を合祀して中曽根神社と名称を変えています。
<発掘調査>
平成8(1996)年に発掘調査が行われ、中曽根城跡から、長さ19.2メートル、深さ1.2メートルの堀跡や、
中世の板碑、陶器類などが見つかっています。
中曽根城の堀跡は、現在は埋め戻されています。
<参道>
南参道
南参道入口に標柱「史蹟 中曽根城跡 中曽根神社 入口」があります。
北参道
<中曽根城跡>
昭和51(1976)年建立の「中曽根城跡」碑です。
<奉納>
奉納と刻まれた石造物があります。
<史蹟 中曽根城跡>
「史蹟 中曽根城跡」碑があります。
(碑文)
「史蹟 中曽根城跡
中曽根城は、室町時代千葉次郎勝胤公によって築城された。周囲六町四方(三十六ヘクタール)でそとがまえに堀や土居をめぐらしていたと伝えられている。
今も小宇に、井戸、小屋の内出などの名が残っている。
当社の境内は城の一部で、一段と高く、千葉氏の信仰する妙見社がまつられていた。幾星霜の間に周囲は耕地となり、現在は都市化した。
昭和七年、妙見社と興野の雷社と合せて中曽根神社とし、当地の氏神として祀ったものである。
昭和五十五年九月吉日 中曽根神社神燈講」
<元木囃子発祥の地>
(表)「元木囃子発祥の地
(裏)「神社総代 (氏名省略)
昭和五十六年九月吉日
中曽根囃子連中」
<永遠なる少女>
作者名の記銘はありませんが、鈴木清貴氏の作品で同じものが千代田区麹町にあります。
なぜここに「永遠なる少女」像が設置されているのか不詳です。
<手水舎>
<水神碑>
裏に昭和5(1930)年と刻まれています。
<境内>
境内に中曽根町会会館があります。
イチョウの大木があります。その先に神楽殿があります。
<拝殿/本殿>
屋根上にも狛がいます。
屋根には、武蔵千葉氏の家紋である月星の瓦が見えます。
<祭具庫>
祭具庫の門扉には、武蔵千葉氏の家紋である月星が描かれています。
妙見菩薩をあつく信仰した千葉氏の家紋は月星で、妙見菩薩の司る太陽・月・星を表しています。