○ 石不動堂・八彦尊道標
○ 明王院(赤不動)
石不動堂は、明王院不動尊への道標となっていた導き不動のひとつです。
旧日光街道沿にあります。
<地蔵>
マスクをした地蔵がおられます。南を向いています。
<標石>
半分折れて上部が失われている「〜王院」標石です。
<子育八彦尊道標>
昭和40(1965)年に再建された道標です。
「子育弥彦尊道 是より二丁行く」
<石不動堂>
石造「耳不動尊」が祀られています。
台座に「耳不動尊」と刻まれています。
「江戸名所図会 梅田天神祠 不動堂 別当明王院」
絵の右端から「てん神」「不動堂」「弁天」「別当」とあります。
挿絵の「てん神」は、本文では天満宮祠として説明されています。
「東都花暦名所案内」
江戸時代の「東都花暦名所案内」に「不動 明王院」が記されています。
<山門>
山門は日光街道の方向である東に向いています。
(説明板)
「明王院
当院は山号を萬徳山、寺号を梅林寺と号する真言宗豊山派の寺院である。本尊は感得不動明王で、古くから「赤不動」の通称でい親しまれている。元禄六年(一六九三)に編まれた「明王院縁起」によれば、当院の草創は源為義三男の義広が、近隣の榎戸に祈願所を建立したことにあると伝わる。
当院には、南北朝時代の応安二年(一三六九)、院派仏師院秀が制作した旨の像内銘がある木造如意輪観世音菩薩坐像が伝来する(東京都指定有形文化財)。また正和三年(一三一四)、暦応五年(一三四二)、嘉吉二年(一四四二)の年号を刻んだ中世石造供養塔である板碑三基(足立区登録文化財)も保管されている。
江戸時代には、寺領十三石を将軍から下され、将軍鷹狩りの休息場所である御膳所になった。宝暦九年(一七九五)作成で、享保八年(一七二三)から元文五年(一七四○)にわたる将軍御成りの記録である「御成先御膳所記録」(明王院文書足立区登録文化財)が伝わる。
安政二年(一八五五)に和算家小泉伝蔵(寧夫)の門人遊馬繁右衛門が幾何学の問題を掲げた算額(足立区登録有形文化財)も伝わっており、寧夫の説いた和算の奥義を記す石碑も境内に建立されている。また当院には、咳に効験があると言われる八彦尊等が祀られている。
平成二十六年三月 足立区教育委員会」
<足立区保存樹林>
境内の約3分の1が足立区保存樹林に指定(指定第六号)されています。
<手水舎>
<庭園>
<回向堂>
平成19(2007)年に再建の回向堂です。
不動三尊を本尊としてお祀りしています。
<不動堂(本堂)>
朱塗りの堂宇は、その姿から「赤不動」と呼ばれました。
現在の不動堂(本堂)は、昭和48(1973)年の再建です。
本尊の感得不動明王や如意輪観音(東京都文化財)などをお祀りしています。
<不動明王像道標>
文政3(1820)年銘の不動明王像道標です。
(正面)不動明王立像 「感得 不動尊道」
(右面)「これより三丁」
<八彦尊>
咳に効験があると言われる八彦尊が祀られています。
<閻魔堂>
八彦尊の左に「閻魔堂」があります。
荒綾八十八ヶ所霊場第三十五番の御詠歌が奉納されています。
<宝塔>
明治17(1884)年銘の「弘法大師 與教大師」宝塔です。
江戸名所図会では本堂の左手に宝塔が見えるので、再建でしょうか。
<鐘楼>
立派な鐘楼です。宝塔が小さく見えます。
<天満宮>
かつては、寺の北側の通称「天神山」と呼ばれた小山に鎮座していました。
天満宮の後ろのフェンスの向こう側に石畳が続いており、その先の森が天神山でしょうか。
<小泉寧夫先生算法碑> 足立区文化財
和算家小泉伝蔵(寧夫)の説いた和算の奥義を記す石碑「小泉寧夫先生算法碑」が天満宮の左手にあります。
<弁天社>
江戸名所図会に描かれている弁天社です。
<牛頭観世音>
「南足立牛乳生産組合員」が昭和15(1940)年に建立した「牛頭観世音」です。
馬頭観世音ではなく牛頭観世音が建っていることにかつての土地柄が伺えます。
<延命地蔵尊など>
<無縁佛並旧不動堂礎石>
無縁塔は、旧不動礎石が活用されているようです。
<力石>
墓地入口に入って石テーブルと石イスの両脇に、力石が三基ずつ、合計六基あります。