Discover 江戸史蹟散歩
 
 目黒

  ○ 十七が坂上の庚申塔
  ○ 十七が坂
  ○ 馬喰坂


十七が坂上の庚申塔 目黒区目黒3-3-21

 十七が坂上の墓地にある宝筺印塔が目黒区内最古の庚申塔です。
 寛永3(1626)年銘です。

   

 塔身の正面中央「庚申供養」、右「未来現在」、中「過去」、左「三世佛」とあります。

    

<庚申板碑>

 明暦3(1657)年銘の板碑型庚申塔です。
 「奉造立庚申供養石塔一宇」

   

<剥落が激しすぎる石仏>

 たぶん燃えていますね。剥落が激しすげて不詳の石仏です。

  

(説明板)
「十七が坂上の庚申塔 目黒3-3
 江戸時代の農村では庚申信仰がさかんで各集落に講があり、その寄進で庚申塔が建立されました。
 庚申塔には、青面金剛や三猿、年号、建立者名などが刻まれていて、村の歴史や人々の生活などを知るための貴重な資料です。
 この庚申塔は前の十七が坂上にあるので「十七が坂上庚申塔」と呼んでいます。
 墓地の中でひと際目立ち、高さ2メートル余もある宝篋印塔型の庚申塔は、寛永3年(1626)に建立されたもので都内でも古いもので菅沼一族8名の名があります。また、この塔の前の板碑型庚申塔には明暦3年(1657)の年号と、その下に17人の建立者名が刻まれています。その筆頭者に「権之介」の名前が見られますが「権之介坂」の名のおこりになった菅沼権之助ではないかと言われています。
  平成5年3月  目黒区教育委員会」

   


十七が坂 目黒区目黒3丁目

  

(標柱)
「十七が坂(じゅうしちがざか)
 「十七」とは若者をさし、元気な若者たちは回り道をせずに、この急坂を利用したことから名が付いたという説や、坂の途中にある板碑型庚申塔に十七人の名が刻まれていることに関連するという説など、由来についてはいくつかの説がある。
 令和三年三月 目黒区教育委員会」

    


馬喰坂 目黒区目黒3丁目・中目黒4丁目

 坂の途中に標柱「馬喰坂」、坂上に「馬喰坂上の庚申塔群」があります(下調べ不十分で撮影ロスト)。

  

<目黒区みどりの散歩道>

(説明板)
「馬喰坂
逆Sの字にカーブを描く目の前の坂が馬喰坂。その昔、坂はとても急で、切通しの工事を行った。 しかし頂上部は、庚申道が交差して、思い切った工事が出来ず、風雨にさらされると、大小の穴で路面が凸凹していた。道路に穴が開いた状態を昔の方言で「ばくろ」といい、それが坂の名となったという。馬喰の字は当て字らしい。」

   


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