将軍家光の愛鷹が行方不明となり、松の枝に飛び戻ってきたのが「鷹居(たかすえ)の松」です。
現在の鷹居の松は、何代か後のものです。
松の下に、二鶏とヒヨコの石板レリーフ、さらにその下にカエルがいます(鷹カエルで置いている?)。
<鷹居松標柱と鷹>
(説明板)
「鷹居の松跡
下目黒3-20-26 目黒不動尊 瀧泉寺
江戸幕府 3代将軍徳川家光 が寛永(1624〜1644)の頃、目黒不動尊の近くで狩猟中に愛鷹が行方不明になりました。家光が目黒不動別当の実栄という僧に祈らせたところ、鷹はたちまち境内の大きな松の枝に飛び戻ってきました。このことに家光は大いに喜び、この松を「鷹居の松」と命名したといわれています。
これ以後、家光は不動尊を深く信仰するようになり、火災によって焼失していた目黒不動尊の堂塔を次々と再建させ、寛永11年(1634)には諸堂末寺等を併せて50余棟に及ぶ壮大な堂塔伽藍が完成したといいます。
幕府の保護を受けて以来、歴代将軍が目黒不動尊へ参詣するようになると江戸庶民にも不動信仰が広がり、目黒不動尊は江戸近郊の有名な行楽地の一つとなり大変にぎわいました。
尚、現在の松は「鷹居の松」の話から何代か後のものになります。
平成21年3月 目黒区教育委員会」
石階の両側の玉垣には、お経が刻まれています。
石標「男坂 経につつまれ不動心」
石標「女坂 水音ききてまた祈る」
<鯱手水>
鯱から湧水が流れています。飲料不適。
<銅造役の行者倚像(神変大菩薩)> 目黒区文化財
石窟の中に、寛政8(1796)年銘の銅造役の行者倚像(神変大菩薩)が祀られています。
奥の壁には孔雀明王が祀られています。
玉垣に「浅草 舟和」が見えます。
(説明板)
「銅造役の行者倚像
区指定文化財(昭和59年3月31日指定)
下目黒3ー20ー26
役の行者(役小角ともいう)は奈良時代の山岳修行者で、修験道の祖として崇拝されている人物です。この像は寛政8年(1796)の作で、総高142.2cm、坐高92.7cmです。やや痩せ形の神秘的な面相、均整のとれた体躯や手足の表現、法衣や袈裟の衣文のしわなどもとても巧みで江戸時代の銅造彫刻として優れた遺品の一つです。
表面は黒光りしており、これは鋳工の間でカラス銅と称される銅色です。頭巾を山高にかぶり、木の葉の肩衣をかけ、右手には錫杖を、左手には巻子を持っています。
また、像の腹部、胸部、腕部等に刻銘があり、そこから願主の名や、神田に住んでいた鋳工太田駿河守藤原正義の制作であることがわかります。
平成21年3月 目黒区教育委員会」
<神変大菩薩>
石窟の上には、「神変大菩薩」の石碑が建っています。
<力石>
女坂の踊り場に力石が置かれています。
一番大きい力石は「五拾六貫目」210kgで、「本八丁堀五丁目熊蔵」による奉納です。
<倶利伽羅剣>
不動明王が右手に携える「倶利伽羅剣」が、炎に取り巻かれて祀られています。
剣の両脇に緑色のセメント製の狛犬が座しています。城南講による奉納です。
右脇に「城南講参拝五拾回記念」碑が、力石の隣に「目黒不動尊100回参拝記念城南講」碑があります。