仁王門前の道路脇に「伏見稲荷」と「比翼塚」があります。
伏見稲荷と比翼塚も、瀧泉寺の境内の一部です。
平井権八と小紫を弔っているのが比翼塚です。
比翼塚は普化宗の東昌寺にありましたが、明治4(1871)年に官命により普化宗は廃止、東昌寺も廃寺となりました。
比翼塚は料理屋「角伊勢」の庭内に移り、「角伊勢」は希望する客に鍵を開けて比翼塚を見せていました。
その後、荒廃していたようですが、昭和37(1962)年に現在地に移転しています。
「江戸情緒 目黒比翼塚 白井権八 小紫」
「傾城の恋に眞こと無いとは誰が云うた
まことありやこそ今が世に目黒にのこる比翼塚」
「権八・小紫の悲話伝える比翼塚
処刑された愛人白井権八と、彼の墓前で自害した遊女小紫。その悲話は[後追い心中]として歌舞伎などで有名だが、
この比翼塚は、二人の来世での幸せを祈りたてられたという。 設置年月 1991年3月」
「記念碑」(目黒比翼塚保存会)と「比翼塚」
「新東京名勝選外十六景 目黒不動」
昭和7(1932)年に報知新聞社が「新東京八名勝」を選定し、その選に漏れた十六名勝の記念碑です。
【新東京八名勝】
池上本門寺 西新井大師 北品川天王社 日暮里諏訪神社 赤塚の松月院 目黒の祐天寺 洗足池 亀戸天神
【新東京一六景】
雑司ヶ谷鬼子母神の森 大井の大仏 水元の水郷 奥沢の九品仏 新井薬師 柴又帝釈天 目黒不動
篠崎堤の桜 堀切の花菖蒲 善養寺の松 哲学堂 三宝寺池 大宮八幡 滝野川の渓流 丸子多摩川の丘 豊島園
「目黒不動附近」(一日の行楽 田山花袋 大正7年)
田山花袋が比翼塚について言及しています。
「目黒不動はしかし今でも矢張東京郊外の一名勝として、筍飯、栗飯の名所として世に知られてゐる。料理店なども多く、女のなまめかしい聲などもする。それに、此処に白井権八の比翼塚があるので、一種柔らかななめまかしい気分を感ずる。何でも、その墓は門前の茶店でその鍵をあづかってゐて、頼めば見せて呉れる。私も一度見たことがあった。小さな墓で、暗い塀のかげに打潰されるやうになって残ってゐた。」
「江戸切絵図」
江戸切絵図に「ヒヨクツカ」の記載が見えます。
「The loves of Gonpachi and Komurasaki」(Tales of old Japan A.B.Mitford 1871(明治4) こちらから引用)
「Tales of old Japan」に掲載の明治初期の比翼塚の挿絵です。
<江戸最初山手七福神>
「江戸最初 山手七福神」は、龍泉寺の参詣道筋(白金台の清正公〜目黒の龍泉寺)に設置された江戸最初の七福神巡りです。
目黒不動への江戸市中からの参詣は、七福神ルートの他、品川宿に寄るルートも、多く詠まれた川柳からうかがえます。
龍泉寺は、かつては大黒堂に大黒天と恵比寿神を祀っており、大黒天も龍泉寺だったようです。
「江戸名所図会」には、本堂の前の鐘楼脇に大黒堂が見えます。
現在の三福堂は、当時の弁天社の場所です。
<弁天池>
一寸法師がたらい舟を漕いでいます。
以前は独鈷の滝におられたようですが、今度はどこへ?
<金明湧水>
見るからに鉱泉っぽいです。
鉄臭がします。味見すると、塩味はなく鉄味です。
オーバーフローした湧水の排水口は析出物ですごいことになっています。
分析したら温泉かもしれません。
この湧水は池には流していないようで、池には別のところから水が注がれています。
(掲示板)
「金明湧水 福銭洗い
三福神にお参りしてから、ご縁に導かれますように
洗うお金に五円玉を添えて一緒に洗ってください。」
<三福堂/福珠稲荷/豊川稲荷>
中央が三福堂です。恵比寿神・弁財天・大黒天の三福神を筆頭に七福神すべてを祀っています。
左が福珠稲荷大明神、右が商売繁盛の御神徳の豊川稲荷社です。
三福堂の前に、野村宗十郎翁像があります。
野村宗十郎は、築地活版製造所の社長で、日本に明朝体活字を普及させました。
銘文の末に「昭和五年六月 遠藤隆吉記 堀進二作像 亀田雲鵬書」とあります。
亀田雲鵬は鵬齋の曽孫です。