梶原景季の愛馬「磨墨」は、この地の産であったとも、またこの地で死んだとも伝承されています。
明治33(1900)年に馬込村の人々により伝説にもとづいて磨墨碑が建てられました。
(説明板)
「磨墨塚(するすみづか)の由来
磨墨は、源頼朝の家臣だった梶原影季(鎌倉時代の武将)の愛馬であり、平家物語で有名な宇治川の合戦で、佐々木高綱の乗った「池月」と先陣を争った名馬です。その影季の愛馬「磨墨」をこの場所に埋めたとの言い伝えがあり、明治三十三年(一九○○)八月に、馬込村の有志により、石碑が建立されました。馬込は、鎌倉時代に梶原景時(景季の父)の領地であったとの説があり、近くの古刹萬福寺には、景時の墓とされる墓石や「磨墨」の銅像があります。また、周辺には、「磨墨」が落命したという「駒落の谷」や「磨墨」が鐙を落としたという「鐙谷」に由来する「鐙坂」などの地名が残っています。
萬福寺」
<磨墨塚>
<庚申塔>
享保5(1720)年銘の庚申塔です。
<道標>
<馬頭観世音>
大正元(1912)年10月銘の馬頭観世音供養塔です。