慶長16(1611)年に智相院が創建、寛永8(1631)年に随養院が創建、
明治16(1883)年に随養院が再建され、随養院と教受院との両寺名を取って、随教院と変更されます。
昭和3年(1928年)に智相院と随教院とが合併して、智相山随教寺興昭院と改めたといいます。
<石造閻魔王像(こんにゃく閻魔)> 港区文化財
(標柱)
「港区の文化財 興昭院 石造閻魔王像(こんにゃく閻魔)
石造閻魔像は、天保九年(一八三八)刊行の『東都歳事記』正月十六日の条に『閻魔参り』として真向かいの栄立院の木造閻魔(現存せず)とともに記載されている。
この閻魔は、眼病に霊験あらたかとして信仰され、祈願者の願いが成就した時には、そのお礼として「こんにゃく」を供えるならわしとなっていた。現在その風習は失われているが、当時の民間信仰を知る貴重な像である。
像高はおよそ一○五センチメートル、風化が進んでいるが、筍を持ち、上方に開いた方形の冠をつけ、口を開いた忿怒の相であることはわずかにうかがい知ることができる。
平成四年三月三○日 東京都港区文化財総合目録登録
東京都港区教育委員会」
「東都歳事記」
正月十六日の閻魔参りに、「隋養院」「栄立院」が記されています。
<聖観世音菩薩/共生塔>
「東都歳事記」に、栄立院の木造閻魔が記されていますが、失われています。