Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 谷中 金嶺寺


〇金嶺寺 台東区谷中1-6-27

 倍増山宝城院金嶺寺と号します。
 慶長16(1611)年に神田北寺町に創建、天海僧正が寛永17(1640)年に開山したともいいます。
 慶安元(1648)年当地へ移転しました。御府内三十三ヶ所観音霊場(上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場)31番です。
 戊辰戦争で諸堂の仏像も古記録と共に焼失し、
 寛永寺塔頭の常照院から阿弥陀如来像を迎え本尊とし、明治27(1894)年に、本堂が再建されました。

「江戸切絵図」
 「金嶺寺」と記載されています。

  

<山門>

  

<札所碑>

 安永3(1774)年銘の札所碑です。
 西国の三十一番札所である「近江長命寺」になぞらえた第三十一番札所です。

 「如意輪観世音 慈覚大師御作」

     

<庚申塔> 台東区文化財

 植物に覆われていて、台東区教育委員会の説明でも年代不詳の庚申塔です。

   

(説明板)
「庚申塔(台東区有形民俗文化財)
  台東区谷中一丁目六番二十七号 金嶺寺
 庚申塔は、庚申信仰に基づいて立てられた石造物で、江戸時代以降、盛んに造立された。
 庚申信仰とは、六十日に一回めぐってくる庚申の日の夜を寝ずに過ごすことで、長寿延命や無病息災を祈る信仰行事である。地域ごとに庚申講が組織され、庚申の晩に講員が集まって行事が行なわれた。区内には、六十一基の庚申塔が現存している。
 金嶺寺には一基の庚申塔が立てられている。この庚申塔は、植物に覆われているため年代は不詳ながら、その形態から江戸時代中期以降の造立と推定される。塔身部には青面金剛立像が彫刻される。その姿は精緻で、制作した石工の技量の高さがうかがい知れる。
 庚申塔は地域に根ざした人々の信仰を明らかにする貴重な資料であることから、平成十九年(二〇〇七)三月に台東区有形民俗文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。
  令和二年三月 台東区教育委員会」

  

<髭塚>

 三界萬霊塔の脇に「髭塚」があります。
 明治の劇作家幸堂得知(天保14(1843)年1月〜大正2(1913)年3月22日)の「髭塚」です。
 没後は無縁墓に合祀され、家人が幸堂得知の髭を埋めて髭塚を建てました。

 「髭塚
  ちる花の中に一本桜かな 得知」

  

<三界萬霊塔>

 左 「南無地蔵大菩薩」
 中央「三界万霊塔」(宝篋印塔)
 右 「聖観音菩薩立像」

  

<茶釜塚>

  

<本堂>

    


戻る