Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 小岩・市川関所跡と御番所町跡

  ○ 江戸名所図会
  ○ 御番所町の慈恩寺道石造道標(江戸川区文化財)
  ○ 御番所町跡(江戸川区史跡)
  ○ 小岩市川の渡し跡 小岩市川関所跡
  ○ 常燈明(宝林寺)
  ○ 石仏群(宝林寺)
  ○ 市川関所跡(市川市市川)


江戸名所図会 市川渡口 根本橋 利根川」

 江戸川右岸に「御関所」、左岸に「市川宿」と記されています。
 真間川に架かる根本橋から左へ街道を上がっていくと国府台です。
 「御関所」部分の拡大です。

   

「絵本江戸土産 市川の渡し」(二代広重)

 挿絵には「下総への海道にして景色甚だよし 左の方には名にしおふ鴻の台を見はらし利根遠帆雲外に航る 四時の瞻望尽きることなし」とあります。

  


○御番所町の慈恩寺道石造道標(江戸川区文化財) 江戸川区北小岩3-23-7

 房総方面から慈恩寺へお詣りする人びとは小岩市川の渡しを渡ってからこの道標を見て北へ曲がって行きました。
 安永4(1775)年に建立の道標です。

  

(正面) 「右せんじゅ岩附志おんじ道」
     「左り江戸本所ミち」
(左側面)「右いち川みち」
(右側面)「左りいちかわミち」

    

(説明板)
「御番所町の慈恩寺道石造道標
  昭和五十八年(一九八三)三月登録
  区登録有形文化財・歴史資料
 江戸時代、庶民の間には霊場崇拝の風習が盛んになりました。坂東三十三観音もそのひとつで、埼玉県岩槻市の古刹慈恩寺は、十二番札所として関東各地から参詣人を集めていました。
 このあたりは、むかし御番所町といわれたところで、この先にある江戸川河川敷には、小岩市川の関所がありました。
 この道標は佐倉街道と元佐倉道の合流点にあって、対岸の市川から江戸川を渡って小岩市川の関所を通ると道筋のほぼ正面に見えたと思われます。
 銘文は安永四年(一七七五)に建てられたもので、岩附・江戸・市川の三方向を示しています。
  銘文
正面 右 せんじゅ岩附志おんじ道
   左り 江戸本所ミち
右面 左り いち川ミち
   小岩御番所町世話人忠兵衛
左面 右 いち川ミち
   安永四乙未年八月吉日
   北八丁堀 石工 かつさや加右衛門
  平成一五年二月  江戸川区教育委員会」

  


御番所町跡(江戸川区史跡) 江戸川区北小岩3-24-9

 佐倉道と元佐倉道の合流するところに、説明板「御番所町跡」が設置されています。
 かつて角屋旅館が営業していた前です。

(説明板)
「御番所町跡
  江戸川区登録史跡
  北野神社〜蔵前橋通り(道路部分)
 ここは旧伊予田村に属し、佐倉道と元佐倉道の合流するところで、南北に走る岩槻道にも接する交通の要衝でした。小岩市川の渡しが定船場となり、御番所(関所)が置かれたことから御番所町と称したと思われます。江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』の伊予田村の頃にも、関所は「江戸川の傍にあり、ここを御番所町とも云、対岸は下總國葛飾郡市川村なれば、小岩市川の御番所と云」と書かれています。
 御番所町は『徳川実紀』延宝二年(一六七四)の記事にある佐倉道(元佐倉道)の小岩の駅(宿場)に当たるもの考えられます。
 かつては旅籠屋を兼ねた小料理屋をはじめ、鮨屋、あめ屋、豆腐屋、ぬか屋、掛茶屋などが並んでいたと伝えられます。街道の江戸川に突きあたる付近が関所跡で、関所から来ると正面左に「御番所町の慈恩寺道石造道標」が望めました。今も原位置にあり、道路の様子も旧状をとどめています。そのほかにも、江戸川畔にあった常燈明(宝林寺内)や、関所役人中根家の墓(本蔵寺墓地)など、ゆかりのある旧跡がよく残っています。
  江戸川区」

   

   


小岩市川の渡し跡 小岩市川関所跡 江戸川区北小岩3丁目先

 江戸川堤防上に、説明板「小岩市川の渡し跡 小岩市川関所跡」が設置されています。

    

(説明板)
「小岩市川の渡し跡 小岩市川関所跡
 江戸時代のはじめ、両国から竪川の北岸を東にすすみ、逆井の渡しで中川(旧中川)をわたり、小岩で現在の江戸川をわたって房総へむかう道がひらかれました。「元佐倉道」とよばれ、明治八年(一八七五)に千葉街道と改称されています。江戸時代に作られた『水戸佐倉道分間延絵図』には、「元佐倉通り逆井道、江戸両国橋え道法三里」と記されています。
 江戸から佐倉へむかう道筋には、千住から新宿(葛飾区)に至って水戸街道から分かれ、小岩に至る佐倉道があり、江戸時代にはこちらが街道として利用されていました。
 江戸を守るために江戸川には橋が架けられませんでした。小岩市川の渡しの小岩側に小岩市川関所がおかれていました。『新編武蔵風土記稿』の伊予田村の項に「対岸は下総国葛飾郡市川村なれば、小岩市川の御番という」とあります。これは、幕府の設けた関所のひとつで、常時四人の番士が配属されていました。上流の金町松戸関所とともに、江戸の出入りを監視する東の関門でした。戊辰戦争では、ここも戦場になっています。明治二年に廃止されました。
  江戸川区」

   

 江戸川左手に「京成本線 江戸川橋梁」、対岸に「市川関所跡モニュメント」、江戸川右手に「市川橋」(旧称江戸川橋)が見えます。

    


宝林寺 江戸川区北小岩3-23-11

 愛宕山地蔵院宝林寺と号します。
 千住総講中により天保10(1839)年に建てられた常燈明があります。
 もとは小岩市川の渡し場に建てられていましたが、昭和9(1934)年に河川改修のためここに移されました。

   

(説明板)
「寶林寺
 真言宗豊山派に属し、愛宕山地蔵院と号します。もとは千葉県市川市国分の金光明寺の末寺です。起立は大秀法印(慶長十二年・一六○七没)で、本尊は不動明王です。本堂前には常燈明が、墓地には旧伊?田村(現在の北小岩三丁目ほか)の開拓者・篠原伊豫の墓と伝わる宝篋印塔があります。
■常燈明
  昭和六年(一九八一)一月登録
  区登録有形文化財・建造物
 もとは小岩市川の渡し場に建てられていました。昭和九年に河川改修のためここに移されました。この渡しは江戸時代には成田詣での人たちで賑わいました。この常燈明は千住総講中の人たちによって天保十年(一八三九)に建てられました。灯籠の高さ二m、台石は五段に組まれていて、高さは一・八二mあります。
■宝林寺所在の地蔵菩薩像庚申塔(寛文十年銘)
  昭和五九年(一九八四)二月登録
  区登録有形民俗文化財・民俗資料
 参道入り口に他の石仏群と共に祀られています。舟型で地蔵菩薩立像は洋肉彫、左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。像高は一四四cm、寛文十年(一六七○)に建てられました。
  平成十八年一月  江戸川区教育委員会」

   

<常燈明>

 成田講の千住総講中による天保10(1839)年の建立です。
 「弘法大師御遠忌記念再興」とあり、成田講との関係がわかりません。

   

    

石仏群】

 参道左手、墓地手前にある「石仏群」です。

  

<庚申塔>

 一番左は、文化元(1804)年銘の文字庚申塔です。

   

<地蔵菩薩像庚申塔> 江戸川区文化財

 左から2番目の寛文10(1670)年銘の地蔵菩薩像庚申塔です。

   

<庚申塔>

 貞享3(1686)年銘の庚申塔です。

  

<六地蔵>

  

<馬頭観音>

   

<タブノキ>

 江戸川区保護樹

   


市川関所跡 市川市市川3丁目

 市川市の江戸川堤防上に、市川関所跡の標柱とモニュメントがあります。

     

<標柱「市川関所跡」>

 (表)「市川関所跡」
 (裏)「昭和五十八年三月 市川市」

   

(説明板)
「市川関所跡
 江戸時代以前の江戸川は太日川と呼ばれていた。奈良・平安時代の関所跡周辺には、井上馬屋がおかれ、都と下総国を往来する公の使が太日川の渡し船と馬の乗りかえをおこなった。また、室町時代には、市川を旅した連歌師の宗長が、その時の紀行文、「東路の都登」のなかで、市川に渡があったことを記しており、古くからここに人々が集い、川を渡っていたことがわかる。
 やがて、江戸に幕府が置かれると、江戸を守るなどのため、関東の主な川に、船の渡場で旅人を調べる「定船場」が設けられた。古くから渡があり市場でにぎわっていた市川が選ばれ、これが後に関所となった。
 時を経て、江戸時代の中頃には、川のほか山や海を合わせ、全国各地にたくさんの関所が設けれれていた。これらの関所には取り締まりが厳しい関所と比較的ゆるやかな関所があり、市川の関所では江戸へ入る武器と江戸から出てゆく女性が、特に厳しく取り締まられた。
 「市川関所」と呼ばれることもあったが、多くの場合は「小岩・市川関所」と記され対岸の二村が一対で一つの関所として定められていた。そして、分担して関所にまつわる役割を果たしていた。幕府の役人が旅人を調べた建物は小岩側にあったので、市川村は緊急事態の時に駆けつけて助ける役割を担い、名主の能勢家が取り調べをする役人を補佐した。また、江戸時代を通じて、江戸川には橋が架けられなかったので、関所を通り、水戸・佐倉道を往来する人々のために、市川村では二〜三艘の船を用意し、川場に番小屋を建て、二○人前後の船頭や人夫を雇っていた。そのため「御関所附渡船之村方」とも呼ばれた。
 慶応から明治へと時代が変わった時、旧幕府軍と新政府軍の激しい戦いの舞台となり、明治二年(一八六九)に関所廃止令が出されて、その使命を終えてもなお、明治三十八年(一九○五)に江戸川橋が架けられるまで、渡船の運行は続けられた。しかし、度重なる江戸川の護岸工事で、関所の建物や渡船場の正確な位置は、今日不明となっている。
  平成十六年七月  市川市」

  

 江戸川下流に「市川橋」(旧名は江戸川橋)、対岸に江戸川区が設置した説明板「小岩市川の渡し跡 小岩市川関所跡」が見えます。
 「市川関所跡」の右手には、大きな「ヤマザキパン中央研究所」があります。

    


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