<山門>
山門に掲げられているのは扁額「淵江山」で、文化財の扁額は非公開です。
山門表には仁王像。
山門裏には左に普賢菩薩、右に文殊菩薩。
(説明板)
「吉祥院
当寺は真言宗豊山派に属し、渕江山吉祥院星谷寺と称する。本尊は大日如来(金剛界)である。開山の時期には諸説あるが、室町時代と推定されている。
『新編武蔵風土記』には、徳川家康から五石の朱印地を授与されたとある。以降、将軍の代替わりごとに寺領が安堵された。江戸時代は京都仁和寺を本寺とし、三十三ヶ寺もの末寺を持つ中本寺であった。その格式により、正月四日に江戸城に年賀のため登城する際、住職が用いた葵紋を付けた駕籠も現存している。
境内には、享保二年(一七四二)に建立され、平成十四年(二○○二)に現在地(常念坊)に移築された旧山門や、寛永五年(一六二八)の銘を持っ宝筐印塔がある。また、本堂内には、元禄六年(一六九三)に吉祥院に寄進された木造弁才天坐像、宝永二年(一七○五)に十四世義真が購した大般若経(付・廻村什具)、寛保元年(一七四一)に宝鏡院宮が染筆した扁額「渕江山」などが収蔵されている。他にも、板碑や庚申塔なども多数ある。
吉祥院に残されたこれらの文化財は、いずれも区の登録文化財となっており、当寺の誇る歴史の重さを今に伝えている。
令和元年十二月 東京都足立区教育委員会」
<石造物四基>
山門手前左手に石造物が四基並んでいます。左から順に見ていきます。
<弘法大師道道標>
中央 「弘法大師道吉祥院」と刻まれています。
右脇 「荒川附廿一箇所第七番 本木是ヨリ二丁」
右側面 明治36(1903)年3月の記銘です。
<角柱型庚申塔>
地蔵菩薩を主尊とする延宝4(1676)年銘の庚申塔です。
<地蔵菩薩像>
万治元(1658)年銘の地蔵菩薩像です。
<荒綾八十八ヶ所札所碑/道標>
中央「荒綾八十八ヶ所第八十番 本木吉祥院」とあり、第八十番札所碑です。
左脇「是ヨリ寺地瑞應寺へ三丁半」と瑞応寺への道標も兼ねています。
<三霊場札所>
一番右は三霊場の札所碑となっています。
<案内図と説明板>
山門に令和元(2019)年の新しい説明板があり、境内には平成24(2012)年の説明板があります。
(説明板)
「吉祥院
当寺は真言宗豊山派に属し、淵江山吉祥院星谷寺と称する。本尊は大日如来である。開山の時期には諸説あるが、室町時代と推定されている。
『新編武咸風土記稿』には、徳川家康から五石の朱印地を授与されたと見え、家光以下、将軍の代替わりに寺領が安堵された。江戸時代は京都・仁和寺を本寺とし、多くの末寺・門徒を擁した中本寺であった。その格式により、正月四日に江戸城に年賀のため登城する際、住職が用いた葵紋を付けた駕籠も現存している。
当寺は足立区登録有形文化財(建造物)吉祥院旧山門、吉祥院宝篋印塔(寛永五年在銘)、区登録有形文化財(書籍)扁額「渕江山」(宝鏡院宮染筆)、区登録有形文化財(典籍)大般若経(付・迴村什具)、区登録有形文化財(歴史資料)応永年間(一三九四〜一四二八)銘他の板碑、区登録有形民俗文化財寛文五年(一六六五)銘他の庚申塔等くの文化財を有している。
平成二十四年三月 足立区教育委員会」
<手水舎>
手水舎は井戸です。
四天王の童子が四方を守護しています。
北「多聞天童子」、西「広目天童子」、東「持国天童子」、南「増長天童子」です。
<客殿>
<欅の大木>
欅の大木が多い樹林です。
<外灯と四阿>
【庚申塔四基】
四基とも足立区文化財に登録されています。
<庚申塔型石橋供養塔> 足立区文化財
一番左は元禄8(1695)年銘の石橋供養塔です。
正面「庚申供養」(その下に「念佛」を追刻)
裏 「石橋二ヶ所供養□□□□」と刻まれています。
<駒型庚申塔> 足立区文化財
左から二番目は年不詳の駒型庚申塔です。
<庚申塔板碑> 足立区文化財
寛文5(1665)年銘の板碑型庚申塔です。中央に三猿が陽刻されています。
<阿弥陀如来庚申塔> 足立区文化財
一番右は元禄2(1689)年銘の阿弥陀如来の庚申塔です。
<巡拝記念碑>
「秩父坂東西國 百観音巡拝記念」
昭和52(1977)年4月の建立です。
<宝筐印陀羅尼塔>
延享2(1746)年銘の宝筐印陀羅尼塔です。
<水子地蔵尊>
<鐘楼堂>
天明3(1783)年に建立された鐘楼堂です。
<稲荷社>
鐘楼堂の裏に稲荷社があります。
<石燈籠型庚申塔> 足立区文化財
天和2(1682)年銘の石燈籠竿の庚申塔です。鐘楼堂の裏にあります。
足立区文化財の寛永5(1628)年銘の宝筐印塔も並んでいます。
<南無大師遍照金剛>
<本堂>
葵の紋がいたるところに見えます。
吉祥院に隣接する境外墓地に常念坊があり、吉祥院の旧山門は、現在は常念坊の山門となっています。
寛保2(1742)年に建立の旧吉祥院山門です。