舎人諏訪神社の「夫婦杉」の物語が、歩道上にタイル絵で語られています。
赤山街道沿にある「ベルクス足立古千谷店」から毛長川方向へ入った歩道上にあります。
「諏訪神社の夫婦杉 昔二本杉が立っていました」
「村人は夫婦杉と呼んでいました」
「用水路で杉が引きはなされました」
「村の花嫁行列はさけて通りました」
「杉はさみしくかれていまいました」
<毛長姫と夫>
舎人諏訪神社は、毛長川の名称にまつわる伝承から毛長姫の毛長神社の女神に対し、夫の舎人諏訪神社は男神とされています。
毛長姫と夫は、それぞれ新里と舎人の長者の家でしたので、毛長川を挟んだ位置にあります。
<夫婦杉>
夫婦杉と唱える二樹がありましたが、見沼用水開削時に、この二樹の間に水路を通しました。
村人は縁談の時に通ると不縁になるといわれ、通らなかったと伝えられています。
この二樹は江戸時代に枯れ現在はありません。
<境内>
手水鉢と燈籠台があります。
燈籠台には「天下泰平 國土安穏」「維時 文化七庚午天 十二月吉辰」とあります。
文化7(1810)年銘の燈籠台です。
<舎人諏訪神社本殿> 足立区文化財
本殿は金網でがっちりガードされています。
(説明板)
金網でガードされた本殿の裏に説明板「舎人諏訪神社本殿」があります。
「舎人諏訪神社本殿
舎人諏訪神社本殿は、一間社、流造千鳥破風付、向拝正面に軒唐破風がつく社殿形式である。屋根は総柿葺で、現在は覆舎によって囲われているこの本殿は石組基壇上に建立されている。
身舎の大壁・小脇壁、脇障子、柱上組物および縁腰組の間が彫刻で飾られ、中でも龍の彫刻は見事である。
また、牡丹の彫刻を施した手挟や、向拝柱の側面のみならず、正面にも獅子鼻、象鼻などの彫刻木鼻が用いられているところに、江戸時代末期の神社建築の特徴が如実に表れている。
身舎内部には棟札が現存し、「天保七年十一月吉祥日」の記載より一八三六年の建立であることがわかる。
江戸時代末期の神社建築の手法を知る遺構として注目される。
平成二年一月、足立区有形文化財として登録された。
平成七年三月 東京都足立区教育委員会」