Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 金町松戸関所跡と金町松戸の渡し


○金町関所跡之記 葛飾区東金町8-23-8

 「水戸道」は「千住宿」で「日光道」から分岐し、「新宿」を経て「金町松戸関所」を通って、
 江戸川を「金町・松戸の渡し」で渡り、「松戸宿」へ至りました。
 江戸市中からは、水戸道だけではなく、四ツ木道(曳船)の利用も多かったようです。
 平成15(2003)年3月に、東京都下水道局東金町ポンプ所の隣に「金町関所跡之記」の碑が建てられています。
 実際の関所跡は、堤防内の河川敷となります。

    

(標柱)
 (正面)
  「金町関所跡之記」
 (右側面)
  「是より堤外江戸川河川敷一帯」
 (裏面)
  「平成十五年三月吉日建立
   葛飾区教育委員会 金町関所跡石碑建立実行委員会」

     

(説明板)
「全町関所跡」
  所在地 葛飾区東金町八丁目23番先
 金町関所は、金町松戸関所と称され、水戸街道が江戸川を渡る地点に置かれた江戸の東の関門でした。関所の施設がある一帯は金町御番所町と呼ばれ、四名の関所番が明治二年(一八六九)まで、その任にあたりました。
 対岸松戸宿との間には渡船が常備されていましたが、将軍が小金原に鹿狩りに出かける際には、江戸川に高瀬船を並べた仮設の船橋が架けられました。四度行われた鹿狩りのうち、最後の嘉永二年(一八四九)の史料は、関所付近のようすを多く伝えています。
 その後、明治末期に行われた江戸川の改修により、御番所町の家並みの一部は拡幅された堤防の下となり、江戸川の河身も大きく変貌しました。
 関所跡は、松戸宿との位置関係から、現堤防下の河川敷一帯と推定できます。
  葛飾区教育委員会」

   

「水元公園案内図」

 水元公園(東金町八丁目地区)より抜粋です。

   

<江戸川河川敷>

 東京都下水道局東金町ポンプ所と、江戸川河川敷にある東金町ポンプ所排水樋管です。

   

 江戸川上流、江戸川対岸と河川敷の江戸川ラインゴルフ練習場、江戸川下流葛西橋です。

    

「江戸名所図会 松戸の里」

 金町・松戸の渡しが描かれています。

   

「小金野鹿狩之記」(国立公文書館蔵)

 「小金野鹿狩之記」には嘉永2(1849)年に小金原で行われた鹿狩に向かう12代将軍家慶(一橋慶喜が御随従)の御成りが描かれています。
 旗本たちは前日に江戸を出発し、金ケ作で一泊。将軍は当日の午前1時に江戸城を出ました。総勢2万3千人。
 見物は3万人。見物者は12代将軍家慶や一橋慶喜公を見ると歓声を上げました。

 「金町村御関所」
  金町村の御関所が描かれています。

   

 「松戸宿ヨリ御舩橋ヲ顧図」
  江戸川には将軍は舩橋を架け渡ります。御関所も描かれています。

   

 「御小休所松龍寺之図」
  江戸川の松戸宿側が描かれています。

   

「千代田之御表 松戸宿船橋」(楊洲周延 明治30年)

 小金野鹿狩では、江戸川に舟21艘で船橋を作り、将軍を渡しました。
 御座船「麒麟丸」が船橋の脇に見えます。
 御関所は屋根だけ見えます。

  

「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)

 村尾嘉陵は文化14(1817)年に半田稲荷社へ参詣「半田いなり詣の記」を記しています。
 浜町→小梅→四ツ木→曳船→新宿→夕顔観音→半田稲荷社とたどります。
 「新宿」(中川)から「金町」(刀弥川)までの「水戸道」が記されています。

  


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