海蔵寺は江戸時代以来、身寄りのない死者や不慮の死を遂げた者を供養してきました。
山門を入って右手奥の塚は身寄りのない人々等の遺骨を集めて築かれたものです。
「江戸名所図会 本光寺 大竜寺 天竜寺 海竜寺」
海竜寺とあるのは、海蔵寺の誤りのようです。
挿絵には、海蔵寺山門前に「づつう塚」と記されています。
「江戸切絵図」
江戸切絵図に「海蔵寺」が見えます。
<山門/参道>
<寺号標>
「時宗 海蔵寺」
<案内碑>
「江戸時代無縁並首塚
関東大震災殃死者塚」
昭和8(1933)年銘です。
<駐車禁止>
<文化財説明板>
「海蔵寺無縁塔群(昭和53年指定)」と「木造菩薩形坐像(平成31年指定)」の説明があります。
(説明板)
「品川区指定有形文化財
海蔵寺無縁塔群
所在 南品川四丁目四番二号
昭和五十三年十一月二十二日指定(史跡第十四号)
本寺は江戸時代以来、身寄りのない死者や不慮の死を遂げた者を供養しており、往時から「品川の投げ込み寺」といわれてきた。
山門を入って右手奥の塚は、行き倒れや病気で亡くなった身寄りのない人々の遺骨を集め、寶永五年(一七〇四)に築かれたものである。さらに鈴ヶ森刑場で処刑された人の遺骨も葬られ「首塚」と呼ばれた。のちに天保の大飢饉で亡くなった二百十五人を祀る「二百十五人塚」なども合葬され現在に至っている。塚に参拝すると頭痛が治るという伝承があり、古くより「頭痛塚」とも呼ばれている。
このほか、境内には慶応元年(一八六五)に建立された「津波溺死者供養塔」や、大正四年(一九一五)の「京浜鉄道轢死者供養塔」などがあり、本寺が近代以降も不慮・無縁の死者を供養していることを示している。
令和三年三月二十五日 品川区教育委員会設置」
「木造菩薩形坐像(平成31年指定)」
(要約)
カヤノキという木材から丸ごと掘り出した一木造の仏像です。
今から約千年前に京都や今の滋賀県で造られたものと考えられます。
<境内>
<寶蔵稲荷神社>
(掲示)
「寶藏稲荷神社縁起
當稲荷社は稲荷の神と同一とする夜叉神のダキニ尊天を本尊とする明治二十三年九月町内稲荷講中により旧跡に再建され火防の稲荷として霊験あらたかで土地の人々の安全守護神として尊崇され春秋二季に大祭が盛大に行われる。」
<無縁塔(首塚 頭痛塚)>
「墓誌」によると
「一、元禄時代非人溜・髑髏塚
当時牢屋で獄死した多くの罪人を埋葬、
宝永五年その髑髏をあつめ墳墓を築く」
「一、江戸時代首塚
当時鈴ヶ森の刑場で処刑された人の首を埋葬」
「一、品川宿遊郭娼妓之霊」
「一、品川京浜電鉄轢死者之霊」
「一、品川海岸溺死者之霊」
「一、品川行路病横死者之霊」
「一、関東大震災横死者之霊」
<京濱鉄道轢死者之墓>
大正4(1915)年の造立です。
「當院無縁者永代施餓鬼料
金ニ百圓 山添萬吉
京濱鉄道轢死者之墓
東京市京橋區松川町
大正四年九月中日 山添萬吉建」
<関東大震災横死者供養塔>
昭和7年(1932)の造立です。
「大正十二癸亥震火大災横死者霊供養」
<津波溺死者供養塔>
慶応元年(1865)の造立です。
<本堂>